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   エリーゼのために 


 “いくつになっても始めるのに遅すぎることはありません”という言葉は中高年向けの趣味の入門書やハウツー物には必ずといっていいほど書かれています。
 それを信じて始めてはみても、仲々上手く上達しなくて、もうこの年ではやっぱり無理だとか、思うように時間が作れなくて、とかいい訳はちゃんと立ちます。
前回でお話しした、94才で尚上達している達人もすごいと思いますが、その達人に勝るとも劣らない方がいらっしゃいます。
 仮に、里さんと呼びましょう。
 里さんは81才でピアノを始めました。
1年後、82才で「エリーゼのために」が弾けるようになりました。
 過去に少しでもピアノに触れたことがあるんじゃないかと皆さんは思われるでしょう。
当然私もそう思いました。  それでその疑問をぶっつけてみました。  「いいえ、全く初めてです」里さんは真剣な顔で答えました。
 嘘をついたり、誇張したりする人ではありません。
 里さんは月に2〜3回位碁会所に来られます。
棋力は四段といったところで堅実な碁を打たれます。
 長身で白髪、寡黙にして紳士然とした方で、教養の高さと気品を感じさせる方です。
若い頃はかなりのイケメンだったに違いありません。
 筆者と碁を打っている時、石の持ち方が何となくぎこちないので、年配者はそういうことはよくあるとのことですが、「どうかされましたか」と聞いてみました。  「ピアノを弾きすぎて、指が変なんです」
 「へエー里さんはピアノを弾かれるんですか」
 「えー去年81才で始めて、一年で“エリーゼのために”がやっと弾けるようになりました」そう言って、里さんは本当にうれしそうに、ニッコリと笑いました。
 「エリーゼのために」を弾けるようになりたいからピアノを始める。  「禁じられた遊び」を弾けようになりたいからギターを始めると、言いますね。
まさに里さんはやりたいことを実行されたんですね。
 81才にもなってから。  里さんは大学の教授をなさっていたと噂に聞いていたので、里さんの専門を聞いてみました。
 「英文学です。私はもともと、理系で数学が好きだったんです。しかしこれからは英語が必要になるだろうと思って、英文学の方に進んだんです。」
 私は音楽がもともと好きだった、という答えを予期していたが、見事にはずれました。
 「そうですか先生は数学がお好きでしたか、数学と音楽と共通点があるんでしょうか。」
と言う私の愚問に、里さんは毅然として
「あります、どちらも美しい。」
 美しいものを求めて、いくつになっても挑戦する、その姿こそ美しいですね。
 「“エリーゼのために”が弾けるようになりました。」  と言った時の里さんの笑顔は、少年が自分の力でプラモデルを完成した時の様な、
又追いかけて行ったギンヤンマをつかまえて「ヤッター」と言った時と同じ笑顔でした。

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