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   達人がいる 


 どんな世界にもその道の達人と呼ばれる人が必ず一人や二人はいる。
技量に優れていることはもちろんだが、寡黙にしておごらず、いつしか周りの人達は畏敬と尊敬の眼差しで接するようになる。
ここに一人の男がいる。
仮に仁さんと呼ぼう、囲碁をこよなく愛し、週に3回〜4回は松戸GO-NET囲碁サロンに通う。
相手がいない時は、休憩用のソファーに座り、そばにある数百冊に及ぶ本棚の中から1冊を選び静かに読書をする。
碁の本とは限らない、時には歴史、時には論評、時には随筆、マンガの本も沢山あるが、マンガだけは決して手を出さない。
程なく待てば、必ず頃合いの相手が顔を見せる。いつもの碁仇だ。
席主の方で「仁さんどうぞ」と言えば、ソファーの肘掛けに立てかけてあるステッキを右手でしっかりと握りしめグイッと力を込めてゆっくりと立ち上がる。
数歩慎重に歩き、定められた席まで来ると、左手でイスをゆっくりと引く。
体が入るくらい程良く引き終わるとステッキを碁盤が載せてあるテーブルの横に立てかけて、両手でテーブルをしっかりと押さえながらイスに腰掛ける。
その間、相手は既に碁盤の前に黙って待っているが、この間あえて誰も手伝うことはない。
仁さんはほとんどの場合、黙って黒石を引き寄せる。
軽く会釈をして、 1手目を打つ、置き碁の場合は右手で数目つかみ、その石を左手に持ち替えて左手の中から一個ずつつまみ丁寧に所定の位置に置いてゆく。
置き終わると軽く会釈をして、上手の1手を待つ。
その間、目はじっと碁盤を見たままで周りがいかようにあろうとも決してよそ見したりはしない。
真剣勝負の目だ。 仁さんは相手の意図には決して惑わされない。
特に上手のキカシには必ず反発する。
それ以前に、自分の構想を持ち、相手の打った手のおかまいなく、自分の構想を貫き通す。
仁さんの碁の目的は相手の石を取ることだ。
その為に終盤になって、自分の石が壊滅することが多い。
しっかりと受けてさえいれば、勝てる碁でも、相手の手に受けることは仁さんにとっては耐え難いことなのだ。
又自分のねらいがはずれて、相手の石が生きてしまったら、地合で勝っている碁でも投げてしまう。
両手で黒石を2〜3個包むようにして持って、2,3度軽く揺らし、それまでの真剣勝負の顔が急に照れ笑いを浮かべながら、恥ずかしそうに碁盤の石をくずす様に真ん中ほどに石を落とす。
その動作が始まると側で見ている野次馬は、「仁さん、まだ勝ってる、投げたらダメダメ」と声援を送るが、仁さんにとっては碁に勝つことなど、そんな俗なことはどうでもいいことなのだ。
自分のねらいを貫き通す一点に絞り、ねらいがはずれたら、もうそれ以上は打つ価値がないのだ。 「ヤッパだめだなー」と自嘲気味に照れ笑いを浮かべながら、10秒後には、右の人差し指を立て「もう一丁いいですか?」再び勝負の顔に戻るのだ。

相手との棋力の差がどれだけあろうと無かろうと、碁の勝ち負けより自分のねらいが通じるかどうかに一点しぼり、顔を真っ赤にして打つ、右肩を少し斜め前に出し、時々ぶつぶついいながら打つ。
相手の大石をしとめた時は「たまにはこういうこともあるんですね」と嬉しそうに笑顔で言う。
決して相手の手を評することは無い。 その様な仁さんが一度だけ、烈火の如く怒ったことがあった。
ある大会でもう打つところが無くなって“ダメ”だけとなった時、“もう終わりましたね”と二人とも言わないまま通例に従ってお互いがダメを詰め始めた。数手打った時、仁さんは自分の数目がアタリになっていることに気づかず、他の“ダメ”を打ってしまった。
相手はすかさず数目を取り上げてしまった。
その時「そんなことがあるんですか」「そんなことがあるんですか」大声で怒鳴った。
仁さんは時には勝っている碁でも投げる人なのだ、そんな行為は許し難く美しくないのだ。

一人暮らしの仁さんは94才。
約7年前87才から GO-NET囲碁サロンに自宅から歩いて来る。
普通なら10分位の道のりを約30分かけて右手に杖をつきながらゆっくりと一歩一歩確かめる様に歩く。
途中常磐線の松戸駅陸橋を越えるのは仁さんにとって決して容易なことではない。 仁さんがしばらく見えないと、誰言うともなく「仁さんどうしたのかな・・・・」と言う。
それ以上は誰も何も言わない。仁さんが来ると皆「ホッ」とする。
仁さんが帰る時は席主も担当の女性も「ありがとうございました」と言ってエレベーターの所で見送る。
そして祈るような気持ちで「又お待ちしています」と言う。
仁さんはこの年で驚くべきことに2目は強くなっている。
初段で打っているが内容は3段以上ある。仁さんは達人だと思う。
碁の達人というのは揶揄的で仁さんに失礼だ。
94才にして意志を貫き、自分の碁を打つ。
仁さんは「生きる達人」そんな言葉が最もふさわしい。

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