なぜ子供達に碁を教えるのか(3) 株式会社アイ・システム 代表取締役 蒲原久博

 囲碁は平和でしょうか。
平和な時は囲碁は盛んになるでしょうが、戦争の時や大不況の時は、囲碁どころではない、と言うことになるでしょう。
囲碁の中身について言えば、囲碁の要素には、まず「生きる」「死ぬ」これが基本としてあります。
能動的な言葉としては、「生かす」「殺す」、さらに「助ける」「捨てる」、「つなぐ」に対して「切る」、「囲う」に対しては「破る」又は「侵略する」、さらに友好的ではない物騒な言葉としては、「ハネル」「アテル」「きかす」「うちあげる」等あり、極めつけは、「しめつける」「はさみつける」等があります。平和とはほど遠い言葉ばかりです。
相手の急所をついて混乱させ、時には死に至らしめることはいいことで、急所をはずし相手を助けても、誰も褒めてはくれません。
こういう事を普通のこととして行なうのが囲碁であって、強い人ほど相手を困らせるのが上手なわけです。
そして、そういう人ほどこの世界では尊敬されています。
相手を喜ばせてばっかりいる人は、たとえ大会社の社長といえども、この世界では赤い顔して、言葉少なに、小さくなっています。
しかしこういう要素は、囲碁だけでなく社会生活そのものであって、社会生活と囲碁の違いは、法律もあり警察もあるから、碁盤の上のようには好き放題にできないということです。
また、「むさぼれば、勝ちを得ず」という囲碁の格言が有る様に、勝つためには自分の欲との戦いであり、じっと辛抱する事も必要です。
「子を棄てて先を争う」という格言は、小さな所はほって置いて先にいい所を打ちなさいということです。
「動かずばすべからく相応すべし」とは、相手の動きに併せて、いい手を打ちなさいということです。
更に「勢弧なれば、和を取る」とは、自軍の方が弱い時は戦ってはいけませんというように、囲碁十訣のすべては大人が社会生活を送る上での心構えとして、そのまま十分に通用しそうです。

 子供達には、普通親は正直でありなさい、嘘はつくな、人に優しくしなさい、始めた事は最後までやり通しなさい、人に迷惑を掛けたらいけません、という様なことを教えます。当然の事です。
一方学校では、皆仲良くしましょう、友達が困っていたら皆で助け合いましょう、自分の意見は堂々と言えるようになりましょう、とか教えますね。これも当然です。
もっと積極的な行為としては、弱い人、困っている人は助けましょう、強い相手にも立ち向かう勇気を持ちましょうと教えます。一見、どちらも禁欲的で自己犠牲的です。囲碁十訣には反しているように思えます。
学校で教えることを、そのまま碁盤の上で実践していたら、ちっとも勝てないでしょう。しかし、もし学校で囲碁十訣に書いて有るような事を教えたとしたら、子供達がそのようなことを正しく理解することは、仲々難しいのではないかと思います。
きっと勝つことが一番の大事なことなんだから、勝つためには要領よく、上手くずるがしこくやればいいんだよ、という風に受け止めるかもしれませんね。
わが子が小学生の頃からもしそんな考えをもっていたら、たいていの父親は張り倒すでしょう。
息子が30も過ぎて、家庭をもってからその様なことを言ったとしたら、「俺の息子だから、まあこの程度でも仕方ないか」と苦笑するほかないでしょう。

 10代では正直、正義、真実という言葉がよく似合いますが、40、50代になってからでも、そんなことばかり言っている人には「あなたも若いね」と言われてしまいます。若いと言われて嬉しく無い時はこういう時ですね。
正直である事、正義をつらぬく事、人に優しくある事は素晴らしいことですが、社会生活の中ではそうでない人もいるわけです。そういう人達がいつもテレビのニュースでは沢山出てきます。
刑事事件は別にして、沢山儲かった人なんかは英雄の様な扱いを受けたりしています。
しかし、ルールを守っていなかったという事が後で分ると、手のひらを返した様な扱いになります。
法律的には違反していないが、社会通念上許されないということもあります。
あるいは、何でも儲けることはよくない、自己犠牲的に社会に奉仕しなければ本当の善ではないという様な考えの人もいます。
二宮尊徳はこのような儲けと道徳の問題に対して、次のような言葉で言っています。
「欲に従って家業に励み、欲を制して社会に奉仕する」又「道徳のない経済は罪悪である、経済の無い道徳は寝言である」。
片寄ってはいけない、調和が大事であるということです。

 今マスコミでは学校のいじめの問題をさかんに取り上げています。いじめを無くすのはいいことです。
同時に、もし自分がいじめに合った場合には、どの様にすればよいかを教えることも必要だと思います。
相手の攻撃やふざけた行為に対しては、このくらいまでは笑って済ませるしかない、又程度を越えた時は、自分で処置できる能力を身に付けられるような教育も必要であると思います。
その様な教育は、言葉だけでは仲々上手く本当のところを教えることは難しいでしょう。
囲碁にはその様な心の知性を高めるための要素がすべて含まれています。
部分的な一つ一つの行為の善悪のみにとらわれず、全体を鳥瞰図的に見て、全体の調和を取ることが大事なことであり、そのような思考の訓練と全体を判断する力を身につけられるようにしていくということです。
そして、囲碁の良いところは、他のどの様なスポーツや芸術に比べても、日常の事として、手軽に、危険な事故に遭うような恐れもなく、楽しい感じで、明るい感じで経験してゆくことが出来るということです。