翔べ宙太(みちた)!20  草心、宙太の才能に惚れる


 宙太は一心にじっと碁盤を見つめたまま読みふけっている。
 草心は中央の大石を生きることにこだわって、もし死んでしまったら負けるかも知れないと思った。
 勝負するつもりは無いとはいえ、宙太に教える意味でも簡単に負ける訳にはいかなかった。
 草心は20目にも及ぶ中央の大石を棄てる作戦に出た。
 棄てる事により辺をぐるっと囲んで、真ん中付近は宙太、碁盤の周りは草心と言う風にハッキリと分かれた形で対局は終った。

 宙太はニコニコしながら草心を見た。
 「和尚さん終わりだね、もうこれ以上打っても少しも増えないね」
 「そうだね、終わりだ。この石は宙太に取られたね」
 「宙太、どっちが勝ってると思う?」草心は尋ねた。
 「和尚さんの石が20個死んだから、この碁盤の上にある石の数は俺のほうが多いよ。でも石で囲ったこんなところの場所は、俺の方より和尚さんの方が多いよ。だから見えている石だけ数えると俺の勝だけど、見えてない石を数えると和尚さんの勝ちだよ。うーん、どっちかなー?」

 宙太の言葉に草心は鳥肌が立った。
 草心は「石をたくさん生かした方が勝ち」たったそれだけしか言わなかった。
 その言葉から見える石、見えてない石という捉え方が出来るとは、そしてその数までちゃんと数えているとは、いったい自分はこれからこの子に何が教えられるというのだろうか。
 草心は気持ちを落ち着けて言った。
 「宙太、良く戦ったね。宙太は戦いが強いな。和尚さんもビックリした。この戦いから1つだけ言えることはね、この碁のように見えない石が見える石と同じように、時にはそれ以上に大切だと言うことだよ」
 「うん」
 だから「そこの戦いだけのことだけを考えないで、いつも全体のことを考えるんだよ。この石がこの部分に対する影響・・・影響といったら、難しいかな、1つの石がここでの力はどのくらい、全体に対する力はどのくらい、その両方を考えるんだ、いつも」
 「うん、わかった。石の光が遠くまで届くように打てばいいんだね」
 「そう、そうだ、星の光が、いや石の光だ、石の光が遠くまで届くように打てばいいんだ。そういうことだよ」

 宙太は草心とのたった一局で碁の基本を飲み込んでいた。
 草心は1つの決心をした。
 自分がこの子にいろいろ教えることは止めよう。その代わり棋譜を並べて宙太に見せる事に徹することにした。
 その棋譜から、宙太自から何を汲み取るか、宙太の力を信じることの方が効果は大きいと思った。
 草心は丈和の碁がいいと思った。丈和とは江戸時代の名人で戦いに強い棋風で知られていた。
 宙太にふさわしいと思った。

 草心は丈和の棋譜を取り出してきた。
 その中の1つを見せて「宙太、これを1から順番に碁盤に並べてみようか」
 そう言ってその本を手渡した。
 「わー、いっぱい数字が書いてあるね。1から順番に並べるの」
 「そうだ」
 「1はどこかな」宙太はなかなか1が見つからない。やっとの思いで見つけると、
 「次は2だね、えーと2は」と言って2を探すのにさっきよりももっと時間がかかった。
 宙太はため息をついた。
 「次は3だね」
 何だか宙太の表情にハキがない。さっきまでの様なはつらつとした目がうつろになっている。

 「いけない!」草心は内心つぶやいた。
 「そうかそうなんだ」草心はその訳が分った。
 宙太は碁の常識が全く無かった。
 戦いや詰碁になったら読みの力は天才としか言いようがないほど力を発揮する。しかし実戦の碁は先ほどの1局しか打ったことが無い。
 だから1の手、2の手、その手がどこにあるのか、全く見当がつかないのは当然だった。
 こんなことをやっていると宙太は興味を無くすかもしれないと思った。

 「宙太、ごめんごめん、まだ1局しか打ったことないんだもんね。よし和尚さんが並べるから、宙太は黙って見ているだけでいいよ」
 そう言って、ゆっくりしたペースで草心は丈和の棋譜を並べていった。
 250手ほど並べた。
 「宙太、この碁はこれで終わりだ。これはどっちが勝っていると思う」草心は宙太に尋ねた。
 「白8目勝ちだよ」
 その通りだった。そう言って草心はその並べた碁を片づけた。

 「宙太、さっきの碁をもう一度並べてみないか」
 「うん」と言うなり宙太は両手で並べ始めた。
 右手に黒石、左手に白石を持って左右の手がほとんど同時に動いた。
 宙太はすごい早さで並べ始めた。
 草心はじっと見ていた。
 宙太は碁盤の下の方から1行ずつ上辺へ行く様な並べ方だった。
 手順は全くでたらめである。出来上がった最後の形はぴったり一致していた。

 草心は思わず噴き出してしまった。
 「宙太、そうじゃないんだ。順番に並べるんだ」
 「えー、順番に、うーんむずかしいなあー、俺できないよ」
 「そうか、よし、もう一度和尚さんが並べるぞ」
 そう言って再び草心は先ほどの手順を1から並べなおした。
 宙太はじっと真剣に見ていた。
 そして120手位に進んだ所で、「和尚さん、この黒石死んでいるよ、どうして白の人はこの黒石を殺さなかったの。わざと生かしたの?」
 「えっ、どこで」草心は驚いた。
 「少し石を取るよ」宙太はそう言うと、10手程石を取って「ここで白は、ここに打ったけど、ここに打っていれば、こうなって、こうなって、死んでしまうよ」
 宙太はさらさらと並べた。
 そこは草心が全く気がつかない手があった。

 草心はまた石を戻して、2度3度宙太の言うことを検討して見た。
 全く宙太のいう通りだった。  「よく気がついたね、宙太、その通りだね」
 草心は内心の驚きを押し隠すように落ち着いて答えた。
 「これは江戸時代のお城碁だよ。宙太が指摘したようにわざと殺さなかったのかも知れない」
 実際そんなこともあるかも知れないと草心は思った。

 最後まで並べ終わるとまた宙太に言った。
 「今度は1から順番に並べられるかな」
 「うん、できるよ」
 そう言うと先ほどと同じように、両手でものすごい早さで完璧に最後まで並べて見せた。

 「宙太、初めのうちは布石と言ってね、戦いになる前の準備のようなもんだ。戦い易いように自分の好みの布陣を作っとくんだ。いい布陣ができると戦いが始まった時は有利に戦えるんだよ」
 宙太はじっと聞いていた。
 「基本的な形があるんだ。でもこの形にこだわらないで自分の好きな形に打てばいいんだけど、初めの内はその基本を知っていると、相手の打つ手が予測できるし、見た目で好点が発見し易くなるんだ」
 「うん」
 宙太が序盤の布石の感覚を身につけさえすれば、天才の完成と草心は思った。

 つづく