翔べ宙太(みちた)!27  宙太、腕試し


 父が漁に出た。
 宙太の古典の棋譜並べが続いている。丈和の次は秀策、道策と合わせると50局位は並べた。
 草心は一度実戦させたいと思った。
 今日は日曜日だ。駅裏の囲碁サロン三星へ出向いた。

 草心と宙太が連れだって三星の扉を開けると
 「いらっしゃーい! やあ、和尚さん久しぶり、最近はご無沙汰ですねー」店の主人の渡辺が言った。
 「おや、この坊やはどうしました? まさか和尚さんの・・・・」笑いながら渡辺が言った。
 「力田宙太君だ、近所の子だよ」
 「あー、この子が英雄宙太君ですか。賢そうな顔をしているねボクは」渡辺が言った。
 田舎の事とはいえ宙太の二つの武勇伝は、こんなところまで伝わっていた。
 「久しぶりに打ちますか今日は」渡辺が草心に尋ねた。
 「いや、いや私ではないんだ。今日は宙太の腕試しに来たんだ」
 「へえー、宙太君は碁も打つのか。おどろいたねー、どの位打つの? 和尚さんに何子?」
 そう言って渡辺は宙太の顔をのぞきこんだ。

 草心は笑っている。
 宙太はニコニコしながら「何子ってどういうこと? 俺が白で和尚さんが黒だったよ」
 宙太は初めて草心と碁らしきものを打った時のことを言っている。
 それ1局だけで、それ以降は草心とは打っていない。

 「ひえー、和尚さんにしろー?」渡辺は腰も抜かさんばかりに驚いた。
 草心は素人とはいえ、かなりの打ち手である。若い頃は県大会で優勝して全国大会へも出場したこともある。渡辺は2子のハンディを貰っても草心には勝てなかった。
 草心は可笑しくてしょうがないと言った顔で笑っていた。
 「まあ、その辺の所は良くわからないんだ。だから今日ちょと試してみようと思ってね。そうだなあ、じゃ三段位から始めてみようか」
 「えー、三段位から始めるって、詰碁の練習問題じゃないんだよ」
 二人のやり取りに気がついた客が5〜6人宙太のところへ寄ってきた。

 渡辺が言った「杉本さん、ちょっと宙太君と打ってみて。いい勝負かも知れないね」
 杉本は三段で打っている。ここ20年いっこうに腕が上がらないが、三段では勝率が良い。人は良いが、碁の方は異筋、俗筋、何でも有りのめちゃくちゃの乱暴者で、みんなから『アパッチ』と恐れられていた。宙太の読みの力がどの位正確かを試すには、絶好の相手だ。
 「宙太、お願いしなさい。宙太が黒だ」
 草心が言うと「はい」と言って宙太はそばの椅子に腰掛けて黒石を引き寄せた。

 「よろしくお願いします!」宙太は元気な声で言った。
 「はい、お手柔らかにお願いします」杉本が言った。
 周りはたちまち観戦者が集まった。
 二人の碁盤をぐるっと10人位が取り囲んだ。
 宙太は第1着目右上の6−六に打った。観衆からは「ホー」と言うどよめきが起こった。
 杉本は「エー」という表情で宙太を見た。
 宙太は澄ました顔で碁盤をじーと見たまま、白の手を待っている。
 杉本は冷静を装って反対側のスミの小目に打った。
 三手目宙太は右下の6の六に打った。
 その様にして序盤は宙太の石が碁盤の真ん中で丸い円を描くようになった。
 草心と初めて打った時と同じ様だった。

 杉本は小目からシマリと普通の感じの打ち方だった。
 「宙太君は面白い打ち方をするね。じゃこの辺から荒らすかな」そういって杉本は丸く囲っている黒石の中に白石を1つぽんと置いた。
 「あっ、おじさん、俺んちに入って来た」宙太がそう言ったので、みんながどっと笑った。
 「ここ荒らされたら終わりだよ、ボクはこの白石が取れるかな?」
 杉本は余裕で笑いながら言った。
 「うん、俺この白石みんな取れるよ、俺石取るの得意なんだ」
 宙太がそう言うとみんながまたどっと笑った。
 それ以後、草心との碁の様に石がくっつきあって、ねじり合いの力比べが始まった。

 草心の時とは違って相手の石が切れ切れになっていた。
 黒石の中で、白石が切れ切れになってもがいている。切れ切れになった白石が全部死にそうな感じになって来た。
 スミから辺の白石も黒石に破られている。杉本は顔を真っ赤にして、ものすごい形相で考えている。
 時々「まいったなー、まいったなー」を連発していた。
 宙太は大人がこんなに真っ赤な顔をしてまいったなーと言うような姿は初めて見た。
 そしてかってのゴンや村茂のように弱い者いじめをしている様な気持ちになって来た。
 『人には優しくしろ』父との約束を思い出した。
 『弱ったなあ、俺は悪い事をしているのかな』宙太は心の中でつぶやいた。

 杉本はますます熱くなって来た。頭から湯気が立ちのぼっている。
 真っ赤な顔が今にも破裂しそうになっている。
 打ってもどうにもならない手を無意味に打っているだけだった。
 宙太はどうしていいか分らなかった。
 そのうち周りの大人達が杉本の打つ手に口を出し始めた。
 「その手はダメだよ、ハネる一手だよ」
 「そこを切られちゃダメだよ、ついどかなきゃ」色々なことを言っている。

 『俺負けたほうがいいのかなあ』『俺が勝ったら、このおじさんひっくり返ってしまうのかなあー』宙太はついついそんな事を考えてしまった。
 『正直でいろ』という父との約束を思いだした。
 『人に嘘をついてはいけない、それよりも、もっといけないのは自分に嘘をつくことだ』と父ちゃんは言った。
 『わざと負けるような手を打てば自分に嘘をつくことになるのかなあ、でも父ちゃんの言っている意味はそんなことじゃないみたいだけど』宙太は思った。でも良く分らなかった。
 『そうだ目をつぶればいいんだ』茹蛸みたいになっているおじさんの顔を見なければいいんだ。そう思って宙太は目をつぶり、椅子の上にアグラをかいてその上に手をそえて座禅を組んでいる様な格好をした。
 その姿が面白くてみんなが笑った。

 杉本が打った。その手をそばで見ていた観戦者の一人がたまらなくなって「ダメ、ダメ、ここだよ」と言って指さしてしまった。
 杉本は真っ赤な顔して「あっ、そうか」と言って宙太を見た。
 宙太は目をつぶったままじっと動かない。
 それを見た杉本はつい助言通りに石を置きなおした。
 宙太はじっとして動かない。
 「宙太君、君の番だよ」周りの人が言った。
 「えっ」そう言うと盤面をじっと見て、バシッと石を置いた。
 そのとたんに「はい! それまで」「杉本さん、前の手が良かったね」草心は言った。
 「一見これは筋だけど、この手があって破綻だね」更に草心は「この碁は助言があったから不成立とします。それが無かったらまだ戦える碁でした」草心の言葉は杉本を救った。
 草心には誰も逆らえない。

 宙太も『杉本さんがひっくり返らなくて良かった』とホッとした。

 つづく