翔べ宙太(みちた)!28  講釈十段、江藤さん


 騒がしい観戦者の中にあって、一人じっと無言でこの様子を見ていた、初老の紳士がいた。
 宙太の表情をじっと見ていた。
 「江藤さん、お久しぶりです。お変わりありませんか」草心が挨拶した。
 「おおー、和尚さん、お久しぶり。なかなかの玉を見つけましたな」
 江藤が宙太の事を言っている。
 「さすが、江藤さん、見抜かれましたか」草心が言った。
 「うーん、今のうちに一局お願いしときますかな」江藤が言った。
 「ええ、是非」と草心。
 江藤信造、ここでは草心に次ぐ打ち手である。
 口八丁、手八丁、話をさせたら江藤の右に出る者はいない。講釈十段の異名を持つ。

 「ボクの名前はなんと言うのかな」江藤が宙太に尋ねた。
 「力田宙太です!」宙太は元気良く答えた。
 「ミチタ、いい名前だ。ミチとは道のミチかな」江藤は尋ねた。
 「ミチは宇宙の宙、タは太いの太です」宙太が答えた。
 「宇宙の宙と太か、宙太かいい名前だ。宇宙の様に大きくなるんだな、いい名前だ」
 「宙太君、それじゃ3子で、お願いしようかな」江藤が言った。
 宙太は江藤の言っている意味が分らない。宙太はまだ置き碁を打ったことが無かったのだ。

 きょとんとしている宙太を見て、草心は気がついた。
 「宙太、初めに宙太が3つ置くんだよ」草心がそう言うと、宙太はびっくりして「ヒエー3つも先に置くの! 俺そんな卑怯な事できないよ。父ちゃんはいつも言っているよ、男は決して卑怯な真似はするなって」
 みんなはどっと笑った。
 草心はあわてて「宙太、江藤さんはとっても強くて優しいから、宙太に先に3つ置いてもいいよと言っているんだよ」
 「なんだ、そーか、でも3つも先に置いたら、俺勝ってしまうよ」
 またみんながどっと笑った。

 「宙太君は威勢がいいなあ」「そうそう、その意気だ」
 「じゃ始めようか」江藤がそう言うと、宙太は黒石3つをそれぞれのスミの6−六に3つ置いた。そして澄ました顔をしている。
 江藤はじーとその石を見て「うーっ何じゃこりゃ」と言って、宙太と草心の顔を見た。
 「いろいろ細かい事はまだ何にも教えてないんですよ」
 草心が慌てた様に言った。
 「まーいいか」江藤はそう言って第一着を空いているスミに置いた。
 宙太は間髪をいれず更に6−六に打った。
 「うーん、やるなあー」江藤はそう言うと次の手を天元に打った。
 「やったあー」宙太が言った。
 宙太はその天元の手にパシッとくっつけて打った。
 「うーん、中々やるねー」江藤は楽しそうである。
 江藤が打ち始めるとたちまち賑やかになる。

 盤上は力比べの戦いになった。
 「うまい!」「いい手だ」「中々やるなあー」江藤は宙太が打つたびに感嘆の言葉を発している。
 宙太は嬉しくなってきた。『このおじさんは真っ赤な顔をしていない』宙太は思った。
 「そうだ、いい手だ、小さな利にこだわらず大局の可能性を見ているいい手だ」
 江藤は宙太の手を褒めた。
 「そう来たか、その手は分っていたんだ、そうくればこういう感じでどうかなだ」
 江藤のトーンが少しずつ落ちてきた。
 そして余りしゃべらなくなってきた。盤上はあきらかに白の非勢である。
 盤上の白石が6つに分かれてことごとくが死にそうになっている。

 それまで宙太はじっと碁盤を見つめていたが、江藤が静かになってきたのでふっと江藤を見た。宙太は飛び上がらんばかりに驚いた。
 赤鬼がいるのかといるかと思った。真っ赤な顔して髪の毛が立っていた。
 左手で盛んに髪の毛を上に引張っている。
 苦しい時にいつもする江藤のスタイルだった。

 宙太はまた弱ったなあーと思った。大人はどうして俺と打つと真っ赤な顔になるのだろうと思った。
 宙太は弱った顔で草心を見た。
 草心は宙太の気持ちを読み取った。
 草心はうなずくと「思ったとおりに打ちなさい」そう一言いった。
 宙太は「はい」と答えた。
 周りからも笑いがもれた。
 その笑いをきっかけにして、江藤がしゃべった。
 「笑われちゃったよ! 宙太君、良く打った」江藤は精一杯の虚勢を張って言った。
 「和尚さん、将来が楽しみだな」江藤の投了の合図だった。

 サロンの主人の渡辺が草心と話していた。宙太は四段ということになった。

 つづく