翔べ宙太(みちた)!34  微力ながらも、ただひたむきの働きをつづけてゆけば、われらはおのずと知ることができる


 司会者は続けて話しの展開をうながした。
 「碁の本質については良く分りました。それでは私達アマチュアが、特にこれからの21世紀を築き上げてゆく子供達のために、碁を学ぶ上での心構えといいますか、勝ち負けを超えてどのような心で臨めば宜しいでしょうか」

 司会者は日之輪教授にその答えを求めるかのように教授の目を見つめながら言った。
 「私たち素人が碁を打つ場合、特にこれからの青少年が碁のみならず、スポーツでもそうですが、そういったものに臨んだ場合は、勝つことだけが目的であってはならないでしょう。なぜならば勝つことだけが目的の人は、囲碁のみならず、他の競技でもまた人生でもほとんどの人が挫折しか味合えないからですよ。
 一手一手の積み重ねは一日一日の積み重ねですよ。その一手一手はいつも最善とか最高とかそんなことばかり求め続けられる訳ではないんです。人間のやることですからそんなことは出来ません。不完全な一手でもいいんです。その中に自分の魂がこもっているかどうかですよ。魂がこもっているとはどういう事を言うのでしょうか『自分の意志の力が働いているのかということ』これが最も大切なことです。
 そこに偽りがあってはいけないんです。自分に正直であるとは、そう言うことだと思うのです。自分に正直であるとは、自分の本当の姿、実力を正しく認識できているのかということですよ。時には相手との力関係やたまたまの偶然で上手く行ったり行かなかったりするものです。色々な競技でも人生でも、長い間くり返し経験する中で本当の自分の力は自分が一番ハッキリと認識できているはずなんです。過大評価する人は嘘つきなんです。自分に対してね。過小評価する人は臆病なんですよ。それは日頃から自分の内面を見つめる訓練をしていないと簡単には出来ないんですね。
 自分の内面、自分の力を正当に評価できる精神をもって自分自身の意志の力で打った一手一手、過ごした一日一日この連続性ある積み重ねこそが真の目的だと思うのです。勝ち負けは単なる1つの基準に照らした結果なんです。一瞬の結果なんですよ。囲碁で言えば日本ルールですと最後の陣地が多いほうが勝ちという1つの基準ですね。しかし一局の碁には多くの内容があるはずですよ。人生も同じですその内容に多くの価値を見出すことこそが、人間の英知なんです。
 人生の勝者とはどんなことでしょうか。俗に言う偉くなることでしょうか。例えば社会的地位が高くなる、お金持ちになる、人気者になって有名になる、そういうことでしょうか。それも意味のないことでは無いでしょう。しかし社会的地位や名声も、どの位のが成功といえるでしょうか。お金もいくら持っていればお金持ちなんでしょうか。そう言う事を考えた時必ず誰々には勝ったが誰々には負けたということになるんですね。人生はそんな単純で薄っぺらいものじゃないと思うんですね。じゃ、そしたら人生とは何で計るのでしょうか」

 そこまで話すと教授は一息ついた、そしてゆっくりとコップの水を一口飲んで、テーブルにそっと置いた。
 周りの人たちはじっと沈黙のまま聞いていた。
 いよいよ教授が核心に触れると皆が予期し教授をじっと見ていた。

 「例えば、オーケストラは色々な楽器で色々な音の複雑な組み合わせで1つの音楽を創る訳ですが、全体としての調和こそが大事ですね。1つのものや何かがはみ出しでバランスをこわしたら台無しですよ。多くの異質のもの一つ一つのものが全体の中に存在するのですが、すべて自制しているんです。それで全体が美しく調和を保っているんですよ。その様な自制こそが意志の力なんですよ。その様な意志の力が一手一手、一日一日、働いているのかどうかということこそが大切なんです。一手一手、一日一日は不完全ですよ。不完全なものの積み重ねの果てに、偉大な結果はあるものです。そうすれば全員が勝者になれるのです。自分に対する勝者です。人生とはこれなんです。人との比較ではないんです。自分に対して勝者になれるか否かなんですよ」

 周りから感嘆とも、ため息ともとれる「ふっー」と言う低い音が流れた。
 司会者は少し間をとって、ゆっくりと話し始めた。
 「碁というものがいかに深遠なものであるか、また人間の精神や心の持ち様が碁にどれ程深く反映されるものであるか、勝つとか負けるとかをどの様にとらえるものか、良く分りました。私も少しは碁をたしなみますが、今までの目先きの勝ち負けばかりを追う様な碁を反省して、正しい心持ちで打つ様に心がけたいと思います」

 「いえ、いえ、皆さんはいいんですよ、もっと気を楽にして。そんな難しいことは言わないで。ただ相手のあることですから、自分だけではなく双方が楽しめるようにすることが、アマチュアの方々はそれが一番いいことなんですよ」名人が優しく言った。

 「そうですか、それを聞いて安心しました。やっぱり双方楽しくなる様にする、それが、一番大切ですよね」
 司会者は続けて「最後になりましたが、今日囲碁界は低迷しているのではないかという声が、いろいろな囲碁ファンから聞こえてきます。国際棋戦ではお隣の韓国、中国にここ十年勝てなくなってしまいました。これについて両先生に、これからの日本はどうしたら良いかご意見をお伺いしたいと思います」

 名人が言った「そうですね、その問題は私達・・・いや、私に一番大きな責任があると思います。またそれだけ囲碁が国際的に盛んになってきたことの証明でもあるわけですが、まず、これからは底辺を広げることを実行しなければいけません。底辺が広がれば、おのずと山は高くなります。底辺を広げるためには私達一人一人が子供達に教える努力を惜しまない事、またアマ囲碁ファンのお力もお借りして楽しく優しく教えるための技術といいますか、方策を考えてゆく必要がありますね」

 「名人が底辺を広げる努力を皆でやりましょうといって下さいました。嬉しいですね。この度のこの打ち碁集の出版はそう言ったことにも多いに役に立つと思います。しかし今日の囲碁界の「低迷」と司会者が言われましたが、哲学的に考えれば、低迷でも何でもなく、そんな事全然問題ないわけですよ」
 教授は強い口調で言った。
 「といいますと?」司会者が尋ねた。
 「大自然界の姿を見てくださいよ。先ほど碁というものは、もともと大自然の真理を汲み取る為の神から与えられた道具であると言いましたね。低迷している、繁栄している、そういうことを表面だけを見て言う事自体が、全然碁の心を理解していないんですよ。花が咲いたら散り、葉が茂り、実が実る、実が落ちたら葉が落ちて、裸の木になり、見かけは枯れ木の様になりますね。そう思っていると枝にはいつの間にか小さな芽がたくさん出てきていますよ。花の咲く準備をしているんですね。土の中で目には見えないけど根がいつもいつも養分を吸収しながら大きく張って行っているんですよ。いつも変化しているんですよ、止まっていないんです。余り大きな花や実がなりすぎた年は根っこは疲労し、次の年は、花も実も咲かなかったりするんです。これが天の理、地の理、自然の摂理なんですよ。今は目に見えないけど根っこが力強く成長している時なんです。大事な事は止まらないことなんです。命を燃し続けることなんです」

 日之輪教授の言葉に
 「そうなんです。教授にそう言っていただくと私達も逆に励まされます。私もそう信じています。今にきっと近い将来才能に満ち、ミチタ、少年が現れるに違いありません」
 名人は力強く言った。
 宙太はギュッと胸の服を握り締めたまま聞いていた。
 「ミチタ少年がきっと現れるに違いない」と名人は言った。
 宙太はその言葉を聞いて凍りついた。
 名人はどうして俺のことを知っているんだ、まだ夢でもあってないんだ。

 「ありがとうございました。とても有意義なお話しを大空名人と日之輪教授に頂きました。これからの日本の囲碁界の発展っと有為ある青少年の出現を期待しまして、これで本日の座談会を終らせていただきます」
 司会者が言った。
 番組が終った。
 宙太は画面をじっと見たまま凍りついていた。
 全国で多くの子供達が見た。
 そしてその中に、宙太と同じ様にじっと食い入るように画面を見つめていた聡明な目をした少年二人がいた。
 東京に一人、天田明(あまだあきら)11歳。 大阪に一人、一石有斗(いっこくゆうと)12歳。

 つづく