翔べ宙太(みちた)!45  「心力」をもって、食いついて考えていると、見えてきた


 その声に周りの大人たちも何事かと碁盤の周りに集まってきた。
 大勢の大人たちが、碁盤と宙太と下岡の顔をかわるがわる見ていた。

 宙太が当然打つだろうと予想していた所に、石がそこに打たれていないのだ。
 下岡は反対側の黒の群にキカシの手を打っていた。
 その手に受けないと、その黒の一群が死ぬことになる。
 しかし、今この局面でその手を打って黒が受ければ、白は強力なコウ立てを1つ無くす事になるし、味消しにもなる。
 それは、これから始まろうとしている中央の戦いには不利になるはずの手だった。
 今打たれることは宙太の予想には全く無かった。

 下岡は次の手を打った。
 そして、そこの黒の一群は死んだ。
 約30目がそっくり失われた。
 宙太は動揺した。心臓がドキドキした、顔が真っ赤になった。
 泣き出してその場から逃げ出したい気持ちになった。
 宙太はじっとこらえた。
 じっとこらえて、碁盤だけを見ていた。

 そうしているうちに、どこへ行っていたのか、草心が戻ってきた。
 宙太の周りに人が大勢集まっているのを見て、草心はドキッとした。
 こんなに早く終ったのか、少し強引かと思ったが、群がっている人を掻き分け
 「すみません、すみません」と言いながら、宙太のそばに来て、碁盤を見た。
 なんと言うことだ宙太の石が死んでいる。その死の形からして、起こり得ないことが起こったとしか思えなかった。

 宙太が大ポカをやったのか。今まで自分との戦いでも宙太はポカなんかやったことが無かったのだ。
 集中力では誰にも引けを取らない子が、やっぱり大試合の雰囲気に飲まれてしまったのだろうか。草心はそう思った。
 次の瞬間『あっ』と思った。自分がいなくなったからだ、心の強い子とは言ってもまだ10歳なんだ、草心は『しまった』と思った。
 何でそこにじっと宙太を見つめたままいなかったんだろう。草心は心から後悔した。
 どうする、どうすればいい、草心は自問した。こんな時自分に何がしてやれるんだ、草心は数秒目をつむった。
 深く深呼吸をした。そして大きな咳払いを一つした。

 その咳払いに気がついて、宙太が顔を上げた。目が真っ赤になっている。草心のニッコリ笑った顔が目に入った。
 草心は宙太の目をしっかりと見て、ニッコリと笑った。
 そして小さくうなずいた。
 宙太を見つめながら、胸の所に右手を当ててギュッとこぶしを握り締めた。そして再びニッコリと笑って大きくうなずいた。

 『宙太、大丈夫だ、宙太には神様がついているだろう。神様にもらった約束の石をしっかりと握るんだ』
 宙太は草心の声を聞いた。
 『そうだ、俺は神様と約束したんだ。どんな時でも、絶対に可能性はある。あきらめてはいけないんだ』
 宙太は、いつも胸にさげている神様からもらった石をぎゅっと握りしめた。
 あれほどドキドキしていた気持ちが不思議なほど静かになった。
 『俺は絶対にあきらめない、今この局面になってしまったのは、俺の心が弱かったからだ。試合が始まる前にお尚さんが言っていたのはこんなことだったんだ。俺はお尚さんと約束したんだ、絶対に東京に行くんだ、俺はディズニーランドに行くんだ、そして絶対スターウォーズをやるんだ』
 宙太はそう思うと力が湧いてきた。

 そしてまた、じーっと碁盤を見た。
 周りの大人たちがざわめき始めた。
 もう10分以上も宙太は打っていない。投了するのではないかといった雰囲気が流れ出した。
 宙太はじっと考え込んだ。渾身(こんしん)の力で考えた。

 前の神様の問題を考えた時はもっと難しかったんだ、今この目の前の問題が解けないはずはない、次の一手はどこだ。
 宙太は気持ちの整理がついた。
 静かに顔を上げ、下岡の目をじっと見た、じっと見据えた。
 下岡は一瞬怪訝(けげん)な顔をした。
 まだ打つのかと言った表情だった。

 宙太は中央の白石に猛烈に戦いを仕掛けていった。
 下岡はもうこの碁は貰ったと言わんばかりの顔で、紛れを起さないように無難な打ち方になった。
 宙太は死んだと思ったその黒石が死にきっていない事に気がついていた。
 スミの特性で手順を尽くして2段コウになるのだった。
 下岡はその表情からは全く気づいていない様子だった。
 草心はずっとその図を見ていて、やっと気がついたのだった。
 『宙太が気がつくだろうか、気がついて、いつそのコウを仕掛けるだろうか。神様の問題を解いたほどの子だ、今はその時よりずっと強くなっている。宙太もきっと気がついているはずだ』草心は祈るような気持ちだった。
 中央は下岡が無難に打った分黒の宙太が有利な局面になったが、大局的にはまだ、白の形勢の方が良かった。

 150手を過ぎた。まだ未解決の場所が中央と右辺にある。宙太はコウ材が有利になったと思った。
 死んでいるはずの左下スミの黒石に手をつけていった。
 「えーっ」下岡は声を出した。
 死んでいる黒石に手をつけてきたのだ。

 コウでもないのに、コウだての様な打ち方をするのかと一瞬ムッとした表情になった。
 そしてしばらくじっと見ていた。さすがに子供とはいえ、試合巧者と言われている下岡である。意外に思った手は、より慎重に考えるのだった。
 手拍子を打たない訓練が良く出来ている。
 じっと見ているうちに下岡の顔がだんだん赤くなって来た。
 「そうかーっ」下岡の顔は真っ赤になっていた。
 見ていた周りの大人たちは不思議に思った。手になるはず無いと思った。
 下岡は何を勘違いしているんだと皆が思っていた。
 手順は進んで宙太の読み筋通り2段コウになった。
 白にとっては大変な負担であった。下岡の全くの計算外の事件が起こったのだ。

 つづく