翔べ宙太(みちた)!48  それぞれに応援してくれる人がいる


 「どうして、初恵ちゃんがここにいるんだ」
 周りを囲んでいる人達が宙太の声で振り返った。
 遠くにいる少女に気がついて、宙太が見やすいように少し動いた。
 初恵はじっと宙太を見ていた。
 やがて草心が初恵の側に立って初恵の肩に手をやって、宙太を見てニッコリ笑った。
 『宙太ガンバレ』と言っている様な草心の笑顔だった。

 『そうか、初恵ちゃんは応援に来ていたんだ。俺に気を使わせない様に、黙って来ていたんだ』
 宙太はゴンとの対決の時を思い出した。あの時はゴンの手が触れて、初恵がしりもちをついて泣き出しそうになった時、宙太は我慢する事しか出来なかった。
 その時、宙太は勇気を出して初恵をかばえなかった事を、心の片隅で悔いていた。
 それでも初恵はずっと宙太を慕っていた。
 宙太はそれが嬉しくもあり恥しくもあった。
 あれ以来、宙太は碁に熱中の余り、初恵とはほとんど遊んでいなかった。
 初恵はずっと宙太を見続けていた。
 一人っ子の初恵にとって、宙太はどんな時でも、自分を庇ってくれる強い兄でなければならなかった。

 『初恵ちゃんは俺が勝つことを祈っていたんだ。だから俺だって勝たなきゃいけないんだ。勝たなきゃいけないのは小山君だけじゃないんだ』
 宙太は力が湧いてきた。
 そして1回戦の時のように、そっと胸に手を当てて、神様にもらった石をギュッと握り締めた。
 気持ちが落ち着いてきた。勇気が湧いてきた。
 局面をじっと見渡した。

 右辺の変化に応じていたらどう打っても損な変化はまぬがれない。そこは手を抜こう。
 中央から左辺にかけての黒石を攻めよう。それにより相手がどう応じるか、今は相手の出方を見るしかない。
 宙太は黒の大石を攻める手を打った。
 「えーっ」一瞬、小山は小さな声を出した。当然損でも白は右辺を応ずると思っていた。
 右辺の手抜きは小山の意表をついた。
 今度は小山が考えた。
 右辺をもう一手続けて打てれば、50目を越える確定地ができる。しかし中央の大石がさらに一手打たれれば、危うくなる。しかし死ぬとも思えない。しかし死んでしまえば、碁は終わりになる。
 『どうする?』小山は迷った。

 早打ちで相手を翻弄する小山に迷いが生じた。
 『力田はなんと言う子だ。俺より二つも下でまだ4年生ではないか。シチョウ当りの見損じをして何で動揺しないんだ。何でこんなに強く反発できるんだ』小山には初めての相手だった。
 『幼な顔の勝負とは無縁の様な優しい顔の4年生の子がどうしてこんな大胆な手が打てるんだ』小山は迷ったまま、右辺に手を入れた。
 50目以上の確定地が右辺に出来た。
 「オーオー」と言う観客からどよめきが聞こえた。

 間髪を入れず宙太は黒の大石の急所に打った。
 小山は「うーっ」と声を出した。
 中央から左辺にかけての黒の大石を、全部殺しに行く手だ。攻めながら得をしようという手ではない、全部を取りに行く手だ。
 小山はそこまで来るとは思っていなかった。
 小山は慌てた。取られるはずは無いと思っても、2手打ちされればかなり怪しくなるのが碁の常である。
 何とか生きさえすれば、逃げ切れるのだ。小山は早く逃げきりたかった。
 打つ手が少しずつ用心深く消極的になっていった。

 宙太の攻めは益々厳しくなっていった。
 草心が側に寄ってきて碁形を見た。確定地は30目以上黒がいい、しかし攻められている黒が無傷では、生きられないと思った。特に宙太と小山の読みの差を考えると、まず宙太の勝利を確信した。
 草心はその場を離れた。
 数分が経った。観客がざわめき出した。
 宙太はじっと碁盤を見たまま座っていた。
 小山はうつむいたまま、動かなかった。

 どっちの手番だろう。黒の大石を見た。生きが無い。
 白が黒の大石にとどめを刺したところのようである。周りの白には傷が無く、すでにどうにもならない。
 うつむいたままの小山のひざの上が濡れている。ポタポタとしずくが落ちている。
 審判長が寄ってきて、うつむいたままの小山に話しかけた。
 「小山君どうする、まだ打つのかな。それとも・・・」と言おうとした時、「負けました」小山は小さな声でしかしハッキリと言った。
 瞬間、一斉に拍手が起きた。
 「優勝、力田宙太君です!」審判長が大きな声で宣言した。

 つづく

 ※ 小山の心の状態は安易であった。その考えるところは自己の脱出のみという範囲のせまさである。
   その考える内容がしのぐことのみにはしると、考えの範囲もせまくなる。機にのぞんで余裕がない。
   自覚が要求されるのはこういう折りである。自己の心にめざめてどのようになすべきかを正視する。
   我が身をかえりみて、ものごとの道理にかなって打つ自覚がほしい。
   もとよりその道理こそ、広い大局観など、深いものである。