翔べ宙太(みちた)!56  宙太、初恵に指導碁


 宙太と初恵の碁の勉強が始まった。
 宙太は大空名人の打碁集を持ってきた。そして碁盤に並べ始めた。
 「はっちゃん、大空名人の碁をゆっくり並べるから見てて」
 そう言って、宙太はゆっくり並べ始めた。
 「はっちゃん、ほら大空名人の石はどんどん碁盤の真ん中へ伸びていっているだろう。地を囲ってないんだ」
 「一番大事なのは、自分の石は繋がるように打つこと。だから、反対に相手の石は繋がらせない様に打つこと」
 「自分の石が生きるために目を作りやすい様に打つこと。その反対に相手の石は目が出来にくいように打つことが大事なんだ」
 初恵は真剣な顔でじっと聞きながら碁盤を見つめていた。

 「初めのうちはね、いっぱい地を囲って増やそうとするんだ。でも自分が囲って地を増やすと、相手も囲って地を増やすだろう。だから少しも有利にはならないんだ」
 「自分の石が攻められるとね、その攻められた石はすごく不自由で、生きるためだけの手を打たされるんだ。そうすると大きく伸びる事ができないから相手ばっかりが有利になるんだ。だからしっかりと生き易い形をつくれば、攻められる事は無いんだよ。反対に相手の石の弱い所を見つけて攻めることが大事だよ」
 初恵は宙太の言葉を全部吸収するかのようにじっと一手一手を見ながら宙太の言葉に聞き入っていた。

 そうやって1局が終わった後「はっちゃん、今度は俺と打とう」と言った。
 「えーっみっちゃんと打つの、みっちゃんは強いから私なんか全然ダメだよ」
 そう言いながらも、初恵は嬉しそうに笑っていた。声がはずんでいた。
 「そんなことないよ、大丈夫だよ、打とう」そう言って宙太は白石を引き寄せた。
 「うん、みっちゃん、私弱いから9子置くね」
 「いや、5子でいいよ」
 宙太は9子も置いては、勉強にならないと思った。
 そして一手一手丁寧に、優しい打ち方に徹した。

 相手を自分と同じ力を持っている者として、自分の気持ちの中で本手と思える手を心がけて打っていった。
 ちょうど初めの頃、草心が宙太にした様に、途中、相手を利する様なよほどの悪手で無い限り、宙太はできるだけ初恵の意図を汲んで、バランスを取るような打ち方をしていった。
 「みっちゃん、強いなあー。みっちゃんの石はどれもしっかりしてる。全然攻められない」
 初恵はため息まじりに言った。
 最後まで丁寧に打って宙太の3目勝ちだった。

 「はっちゃん、良く打ったね。とっても上手だったよ。石がみんな生きたね。こんな風に打てばいいよ」
 「ワーッ惜しかった。みっちゃん優しく打ってくれたから」
 そう言いながらも初恵はとても嬉しそうだった。
 宙太も先日の福岡での初恵の応援に少しお礼が出来た様な気がした。


 翌日、草心は東京大会の会場にいた。
 300人を越える人でごったがえしていた。
 出場する子供は約130人位である。
 草心は天田明(あまだあきら)を探した。目的は天田明の棋譜を1局でも多く取って帰ることだった。
 子供達はめいめい名札をしていた。学校の名前と学年と名前を書いて、胸にピンでとめてある。
 草心は130名ほどの子供達の名前を懸命に探したが、仲々見つからなかった。
 子供達は思い思いに対局したり、しゃべり合ったり、本を見て碁盤に並べて数人で検討し合ったりしていた。
 まだ来ていないだろうか、草心は少しあせった。
 もしかして何かの都合で出場しなくなったのかもしれない、そんな想いが頭をかすめた。

 ふっと会場の一番奥の隅を見た。
 一人の少年が窓の外を見て、後姿で立っていた。
 音楽を聴いているのか、ヘッドホンをしている。
 窓の外には大きな銀杏の木が立っていた。その太い枝には青々とした葉が生い茂り、夏の風に揺れ、キラキラと輝いていた。
 少年は5年生にしては、スラリとして長身で、宙太と比べたら、とても1つ違いとは思えない落ち着いた雰囲気が感じられた。
 草心は瞬間、天田に違いないと思った。

 草心は少年に近づいていった。そして横顔をじっと見つめた。
 色白で面長の端正な顔立ちに子供にしては細長い繊細な指先が、いかにも育ちが良いと感じられた。
 天才とはこのような容姿をしているのかと草心は思った。
 草心の視線を感じたのか、その少年はふーと左を見た。
 草心と目が合った。ほんの2、3秒、少年はほんの少しニッコリとほほえんで軽く会釈をした。
 草心もその会釈に引き込まれるように軽く会釈を返した。
 少年は何事もなかったかの様に、また窓の外の銀杏の木をじっと見つめ続けた。
 少年の立っているそこだけが会場の喧騒からすっぽりと抜け出して静寂の中にあるかのようだった。

 草心の胸はドキドキしていた。
 「天才といってもまだ11歳の子供ではないか、何で大人の私が圧倒されるんだ」

 試合の始まるアナウンスの声が響いた。

 つづく