翔べ宙太(みちた)!58  天才は天才を知る


 「天田君、どうして私を知っているんだね。私は先ほど、君が多分天田君じゃないかと思ったんだ。私は、今日は君の碁をどうしても見たくて、昨日九州からやって来たんだ」
 「さきほど試合の始まる前、会いましたね。その時分ったんです。本当は力田君も来てくれるんじゃないかと期待してたんですが、力田君は来なかったんですね」
 「うん、私も宙太と一緒に来るつもりだったんだけど、あいにく風邪を引いてしまって、今日はゆっくり家で休んでいるよ」
 「そうですか。草心和尚さん、これ私の棋譜です。先ほどの決勝戦と準決勝の2局です。力田君に是非、見せて下さい」
 そう言って、天田はパソコンから打ち出された棋譜2枚を草心に見せた。
 草心は驚いた。
 その棋譜を見た。
 天田の目をじっと見つめた。

 「私は力田君の碁を研究したんです」天田が言った。
 「えーっ」草心はさらに驚いた。
 「いつ、どうやって」
 天田はニッコリとほほえんでいた。
 「九州大会に私の先生が行ったんです。私も行きたかったんですけど、母をどうしても説得できなくて」
 「先生の目当ては、下岡君と小山君でした。この二人のどちらかと思っていましたから」
 「でも、下岡君が1回戦で、決勝では小山君が敗れたので、力田君の碁を研究したんです。その時初めて力田君を知りました」
 「そうだったのか」
 草心はやっとその時、落ち着きを取り戻した。
 そして同時に、宙太の事をどのように感じ取ったのか、天田の正直な気持ちが知りたくなった。
 そして言葉を選んで天田の心情をあえて刺激するように言った。

 「力田の碁を見て天田君はどう感じたのかな。もし、天田君と対戦したらどういうことになるだろうね」
 「力田君のような碁を何に例えて表現したらいいでしょうか。私にはまだ、この様な碁と対戦したことがありません。音域の広さと、音色の豊かさはオーケストラの様です」
 「勝つか負けるかということはほとんど意味の無いことです。力田君はペガサスの様に何所までも高く、どこまでも遠く、野性そのままの姿で、この広い空を自由にかけめぐっている様です。私が上手く乗れるか、また振り落とされるかはやってみないければ、分りません。本当に楽しみです」
 「うーんー」草心はうなった。
 これが11歳の少年の言葉か、草心は次の言葉を探した。何と言ったらいいのだろうか、少年の言葉に遅れまいとして、必死に話しを続けようとしたが、上手い言葉が見つからない。
 天田少年は続けた。

 「私は大空名人の碁を並べて、勉強していますが、力田君の碁は名人の碁に似ている感じがします。名人の最近の碁です。名人の打碁集には3つの棋風があると言われています。私はそれぞれの棋風の良く出た代表的な局を10局づつ位並べて勉強しました。力田君の碁は名人が45歳を過ぎた辺りから最近までの棋風とそっくりな感じがします」
 「天田君はそこまで研究しているのか。天田君ありがとう。君に会えて東京まで来た甲斐があった。宙太も天田君と打てば、きっと、沢山のいい物を吸収してくれるだろう。本当に楽しみだ」
 「はい、本当に、私は力田君と会いたいです。でも多くのものを吸収するのは、私のほうです」
 天田の言葉に草心は一瞬その意味が分らなかった。
 草心の怪訝(けげん)そうな顔に天田は真剣な顔で続けた。
 「大空名人が40年近くかかって、たどり着いた境地が現在の棋風です。その棋風と力田君がそっくりだということは、どう言うことでしょうか。草心和尚さんは、ご自分の教え子としては、言いずらいかもしれませんが、力田君は生まれ持って名人と同じ世界にいるということですよ。勿論、本人はそんな意識や感覚は一切自覚していないでしょうが、名人のゴールの境地が力田君はスタートなんですよ。これから先、力田君は何所まで進化して行くんでしょうか。私はその様な力田君に会えることが、そして対局できて、その後友達になれればもう何と言ったらいいですか、嬉しくて、嬉しくて」
 天田の声はふるえていた。
 その言葉に草心も全身が熱くなった。
 草心は吹き出してくる様な感情をぐっと抑えながら、「うーむ、うーむ」と声にならない声を押し殺しながら、2回3回とうなずくだけだった。

 その夜、草心は機上の人となった。
 飛び立ってすぐに、どっと疲れを感じた。
 押し寄せてくる睡魔で朦朧(もうろう)とした意識の中で、先ほどの天田の言葉がぐるぐると回っていた。
 『天才は天才を知るのか』
 草心は眠りに落ちそうな意識の中で、独り言を言った。
 もうれつに宙太に会いたくなった。

 つづく