翔べ宙太(みちた)!60  宙太、草心、それぞれの幸福


 天田は洗練された天田の言葉で、宙太は素朴な宙太の言葉で同じ事を感じ取って言ったのだ。
 草心は今更ながら二人の少年の感性の高さに驚きを禁じえなかった。
 「宙太、これは天田君の碁だ。宙太の碁とは全然違うね。宙太は宙太の碁を打てばいいんだ」
 「うん」
 「今日は和尚さんと打とう」
 宙太と打つのは何日かぶりだった。
 「宙太、大会のために互先だ」
 「うん」
 草心が握った。宙太はポンと黒石1つを置いた。
 数えて偶数だった。宙太の白番になった。

 「わー、初めて和尚さんと碁を打った時みたいだね」
 「そうだな、あの時は宙太はまだ何も分らないまま白を持ったけど、今は和尚さんと本気の勝負だ」
 二人は1手1手慎重に打ち進めて行った。50手100手と打ち進めてゆくうちに、宙太の集中力は益々深まって行った。
 草心も宙太の成長を感じ取ろうと全身の神経を碁盤の上に集中するかの様に没頭して行った。
 草心は宙太の石の流れが大きく波打つような感じに変化していることに気がついた。
 もしかして天田の影響なのかと思った。
 たった2局で天田の自然な流れを吸収しているのだろうか。
 以前の荒削りで強引なところが洗練されてきた様な感じを受けた。
 その分宙太の石は前にも増して堂々とした形をしていた。

 草心は容易には勝てないと思った。
 局面は拮抗していた。そうだこのままヨセ勝負に持ち込もう。宙太のヨセの勉強に期せずして絶好の局面になって来た。

 夏の日差しが強くなってきた。宙太の額にじっと汗がにじんでいた。
 境内の庭では、ジュピターが走り回っている。飛べなくなって地面をバタバタ這う様に逃げ回っている油蝉を追いかけ回していた。

 草心はふーとため息をついた。
 宙太が初めて碁と出会った日の事を思い出した。
 遠い日のような感じがした。
 しかしまだ3ヶ月と僅かしか経っていないのだ。
 何と言う子だ。草心は何とも言えぬ心地良い充実感に満たされていた。

 局面は形勢不明のままヨセ勝負の局面になって来た。草心は渾身の力で考えた。
 宙太より草心のほうが考える時間が長くなって来た。
 「最善のヨセを打つんだ。ヨセの技術を宙太に教えるんだ」
 草心は心で思った。
 これほど真剣な碁を打ったのは何年ぶりだろうか。宙太の真剣な姿を見ながら、自分の若い日に夢中になっていた頃をふと思い出していた。

 器が違うと思った。自分の持って生まれた器とは比較にならないスケールの器だ。
 その様な宙太が自分のそばにいることで、例えようのない幸福感に包まれていた。

 局面は大ヨセから小ヨセと少しずつ差が開いて来た。
 技量の差はハッキリとしていた。
 しかし宙太は集中していた。額ににじんでいる汗を拭こうともせず、一心に読みふけっていた。
 草心は最後まで気を抜かず最善を尽くした。
 「どうかな宙太」
 「はい、黒盤面で12目勝ちです」
 「そうだな、コミ6、5目を引いて黒5目半勝ちだ」
 宙太はその差を正確に読みきっていた。

 「ミーちゃん、お腹すいたろー。ソーメンできたよ」
 リマ婆ちゃんが声かけた。
 「宙太、ソーメン食おう。和尚さんもお腹すいた。食べてからこの碁の検討だ」
 「うん」宙太は勝手知った居間へ歩いて行った。
 「あー、うまそうなソーメンだ。あっ、スイカも入ってる。いただきまーす」
 「婆ちゃんのソーメンはうまいね」
 「うれしいね、ミーちゃんは何でもいつもおいしそうに食べてくれるね」
 「宙太いっぱい食べろ」
 「うん、うまい、うまい」
 草心は嬉しそうだった。

 「ミー、ジュピター、おいで、ご飯だよ」庭の方でリマ婆さんのこえが聞こえる。
 宙太はソーメンを食べながらじっと外を見ていた。
 ジュピターを探しているのか、さっきの碁のことを気にしているのか、少し元気がない。
 草心は気になった。
 「宙太、どうした、いっぱい食べろ」
 その声に「うん」とうなずくと草心をじっと見て「父ちゃん、今頃どうしてるかなー。船の上で昼ご飯食べているかなあー」
 「父ちゃんもソーメン大好きだよ、ソーメンも船にあるのかなあー」
 草心は「うっ」と言葉に詰まった。
 自分は宙太と一緒にいることにとても喜びを感じていた。
 『宙太はやっぱり子供なんだ。父親と一緒にいない寂しさは他のものでは換えられないんだ。父親の代わりにはなれないんだ』
 草心は思った。

 「もうすぐ父ちゃん、帰って来るかなあ。この前漁に出る時は8月位って言ってたよ。全国大会に間に合うといいね。そしたらディズニーランド一諸に行けるもんね」
 「そうだね、一心に願えば宙太の気持ちが通じるかも知れないよ。きっと間に合うよ」

 つづく