翔べ宙太(みちた)!63  もう少し心を広くして洞察すれば、また判断が変わることがあるのである


 大阪の閑静な住宅街の駅前にある囲碁サロン「無心堂」に、数人の男達と一人の少年が1つの碁盤をはさんで、色々な意見を交わしていた。
 「今度の出場者の中では、何と言っても天田明だね。天田さえ、しっかりとマークしていれば、他は問題ないだろう」
 「天田の恐ろしい所は相手にその強さを感じさせないところだろうな。いつの間にか大きな流れの中に引き込まれて、気がついたときはもうどうにもならない。僅差の碁でもその差は終局まで縮まる事が無い」
 「九州代表の力田という子も面白い碁を打つね。でも棋力的に天田にはまだ敵わないだろう。碁を覚えてたのは、今年の春だと言うじゃないか。実戦の数から言って未完の部分が多すぎる感じだな」
 それぞれが、言い方は違ってもほぼ同じ内容だった。
 「勝負は何が起こるか分らない。油断はできないが、日頃の力を出しさえすれば、90%は堅いな」
 その場で中心的存在で検討して来た、棋力が一番上と思われる男が結論めいたことを言った。

 「今の・・・今のこの時点での力ではそうかも知れません」
 それまでじっと沈黙していた少年が口を開いた。
 男達全員が瞬間その少年を見た。
 「えっー」「何!」「どういうこと」めいめいが、次に、その少年が何をいうのだろうと次の言葉をうながした。
 「もしかして、私にとって一番不運な形になったら、多分難しいかも知れないです。一番幸運な形になったら多分勝てるでしょう」
 少年は言った。
 一番不運な形、幸運な形とは、少年は何を言っているのだろうといった表情で男達は少年の顔をじっと見ていた。
 「私は天田君よりも力田君のほうが恐い感じがします。私にとっては初戦に力田君と当たることが最高の幸運です」
 「でも、もし、最終局で力田君に当るようなことがあったら・・・・難しいかも知れない」

 「どういうことかな、今まで君がそんな言い方をしたのは一度も無かったけど。どうしたんだ。力田君の碁を見て、君ほどの者が自信が揺らいでいるのか」
 中心的存在で、その場をリードして来た北村が少し苛立った様な言い方をした。
 北村は全国大会で優勝も経験したほどの棋力で、一石の師匠格に当る。
 「北村さん、力田君の碁を見て感じませんでしたか。決勝戦の小山君がまるでおびえたようなうち方をしている、あれほど気合のいい小山君が。初戦の時の下岡君との碁より進化しているんですよ、力田君はたった数局の内に」
 「一石、もっと君の感じた事を詳しく言ってくれないか」
 一石の発言に驚いた北村は、一石に強く命令するかのような口調になっていた。
 「私は力田君の様な碁に初めて出会いました。力田君は1局、1局打つたびに相手の素晴らしいところを吸収しながら進化していっている様に感じたんです。現時点での力は多分、私の方が少し上かも知れません。だから大会で初戦に当れば、90%は勝てると思います。もっとも不運は最終戦にあたる事です。全国から選ばれたひとばかりですから、天田君のみならず、皆すごい人ばかりで、それぞれいいところを持った人ばかりと思います。力田君は1戦、1戦、それぞれの相手のいいところを全部吸収しながら当然勝ち進んでくるでしょう。特に天田君と当ったあとは、どれ程進化するか見当もつきません」
 「そうすると、もし一石と最終戦で当ることになれば、力田君は今よりはるかに棋力が上がっているという事を言いたいわけだね」
 北村が言った。
 「そうです。当然力田君も天田君も、それまで全勝か悪くても一敗でしょう。最後に二人と私がどういう形で当ることになるか。それによって優勝の行方は・・・・・」
 「そうか、一石はそこまで感じたのか、力田君はそれほどの器なのか」
 北村はため息交じりで言った。
 他の男達は黙って二人の会話に聞き入っていた。
 しばし沈黙が続いた。

 突然
 「いやーっそうじゃない、そうじゃないんだ。ああー私としたことが何と小さな事を・・・」
 一石は深刻な恥しさを押し殺すような顔で、今までの発言を全部否定するかのような口調で言った。
 いつも冷静な一石が取り乱したかの様だった。
 皆は黙って一石をじっと見つめていた。
 『一石は一体どうしたと言うのだろう』北村は思った。
 一石はしばし、じっとうつむいたまま、自分の心を見つめ直しているかのようだった。
 大人達の、地元の人達の期待と応援につい答えなければいけないと言う気持ちが強くなりすぎて、いつの間にか優勝することばかりに気を取られていた自分に一石は気がついたのだった。
 「最終戦で思いっきり進化した力田君と当りたい。そうなんですよ、今まで勝って当然の様な人とばかり打ってきました。でも今度が初めてです。負けるかも知れない不安を初めて感じたんです。天田君といいこんなすごい二人と打てるなんて。渾身の力で二人と打ちたい。そして、その後で仲良しになりたい。こんなすごい二人と友達になれるんですよ。すごいと思いませんか、北村さん。ね、皆さんもそう思うでしょう。それに比べたら優勝なんてどれほどのものですか」
 「北村さん、皆さん、今私はハッキリと分りました。思いっきり無心で戦います」
 一石は、はればれとした笑顔で言った。
 
 つづく