翔べ宙太(みちた)!69  打つだけで楽しい


 天田はその手に受けもせず、反発もせず、手を抜いた。
 天田は模様深く打ち込んだ。宙太の打ち方の様子を見た手だった。
 その手がモニターに映し出されると、「そうだな、さすが天田君だ。手を抜かれると難しいですよ、次の一手が」名人が言った。
 今度は宙太が考え出した。
 じっと碁盤を見つめたまま動かなかった。宙太はチャンスかなと思った。
 戦いのきっかけがつかめると思った。
 宙太は攻める方針に出た。

 早々と対局を終った一石が三人の所へやって来た。
 「こんにちは、はじめまして一石です」そう言って、モニターを見ていた三人に挨拶した。
 「やあ、一石君こんにちは」教授が挨拶すると、「一石君ですか、私は秋月草心です。力田のつきそいです」と言った。
 名人は黙って、一石を見てほほえみながら少しうなずくような仕草をした。
 「天田君と力田君二人ともまだ自分の持ち味が充分出ていませんね。少し慎重になっていますね」一石はモニターを見ながら言った。
 「一石君から見てどうですか、二人の碁は」教授が一石に尋ねた。
 一石はモニターを見ながら「そうですね、この時点では天田君が少し打ちやすいでしょうか。しかし、力田君の碁は中盤の強さが際立っていますので、その辺の所を考慮すれば、まだまだ形勢不明でしょう」

 二人の碁はかなり進んで行った。
 宙太の攻めと天田の軽やかなしのぎと、二人の持ち味がだんだんと出てきて、局面は混沌としてきた。
 宙太は一心不乱に没頭していた。天田もじっと局面を見つめたままだった。
 宙太は集中している。かつてないほどの集中力が持続している。
 『このまま最後までゆけば、勝敗はともかく宙太は驚くほど成長するだろう』草心は思った。
 『そうかあー』草心はつぶやいた。
 『宙太にとって一番いい組み合わせになんだ。これはとても幸運な事だったんだ。もし初めに一石に当れば吹き飛ばされたかも知れなかったのだ。そうすればいかに宙太といえども自信を無くすかも知れなかったのだ。天田に最初に当たり、天田から多くのものを吸収して、その後、一石に当れば、可能性はあるかも知れないのだ』
 草心は思った。

 「秋月さん、宙太君は集中していますね。この1局でおそらく100局分は成長するでしょう」教授が言った。
 「はい、それを期待したいですね」

 『思ったとおりだ。この音域の広さは何なんだ』天田は思っていた。
 『しっかりと真正面から受け止めなければ、私の方が振り落とされそうだ』天田は全身で宙太を受け止めていた。
 『やわらかいなあ、風の様だ。俺の打つ手すべて見透かされているみたいだ』
 『我慢しよう。ここで急いでも良くならないんだ』宙太は思った。
 局面は進んで行った。
 名人はじっとモニターを見詰めていた。
 「名人どうでしょうか」教授が尋ねた。
 対局を終った子供達が次々に周りに集まってきて、ついに1局だけになった。
 周りは数十人になっていた。
 「おそらく、半目・・・・どちらが勝っても」名人は小さくほとんど聞こえ無い位の声で答えた。

 草心は宙太の変化に気がついていた。今までならおそらくこれほど混沌とした場面なら、必ず胸の石をギュッと握り締めるはずだった。それがこの碁はまだ一度もその様な仕草はしない。それのみならず、苦しそうな表情も見せない。
 宙太は形勢をどう思っているのだろうか、その表情からは押し計れなかった。
 ただ一心不乱に集中していた。

 終局が近づいて来た。
 名人はモニターをじっと見ていた。
 「どうでしょうか」教授が尋ねた。
 名人はモニターを見つめたまま沈黙していた。
 「私には分らない」搾り出すような小声で言った。

 最後の手止まりの1手を天田が打った。
 二人の手が止まった。
 二人はじっと盤面を見つめたまま動かなかった。
 宙太は大きなため息をついた。
 係りの人がとんで来て、観衆を掻き分けて、二人に近づいた。
 「終局ですか」二人に尋ねた。
 「はい、終りました」ほとんど同時に二人は答えた。
 「天田君強いね。でも、俺全部の力出したよ。気持ちいいー」宙太は嬉しそうに言った。
 「力田君強いなあー。僕はこんなに夢中になったのは初めてだよ。楽しかったあー」
 「勝敗はどうでしょうか」終局のままの碁盤を見ながら、係りの人が言った。
 双方には打ち上げた石がいっぱいあった。

 つづく