翔べ宙太(みちた)!71  一石有斗の才能


 天田と一石の組み合わせとなった。そうすると宙太は最終戦局に一石と打つことになる。
 草心はついていると思った。
 宙太と一石はできるだけ遅い時間の方が良いと思っていた。
 「和尚さん、俺行って来る」
 宙太は草心に言ってテーブルに着いた。
 草心はもう何も言う必要はないと思った。

 宙太は早々と終った。
 「和尚さん、一緒に二人の碁を見ようよ」
 天田と一石のテーブルは沢山の観衆に囲まれて中に入れなかった。
 草心と宙太はモニターを見ようとしたが、モニターの前もいっぱいの人で小さな宙太には良く見られなかった。
 皆が事実上の優勝決定戦と思っていた。
 「力田君、ここに座りなさい。次は君が一石君と打つんだよね、良く見ておくんだ」
 観衆の中の一人がモニターの前の席をゆずってくれた。
 「ありがとう」宙太は一番前の良く見える場所に座った。

 天田の黒番だった。
 中盤の難しい局面だった。
 一石は地合いの僅かの差を見切った様な打ち方をしていた。
 少し天田が苦しそうにも見えた。
 『一石君は1手の大きさをきっちりと計算しながら打っている』宙太は思った。
 天田は少し非勢ながらも少しも慌てなかった。しっかりと味良く打って天田の黒の勢力に少し思いがけない黒地が付いた形になった。
 形勢が混沌としてきた。一度リードしたら僅かの差を終局まで保つ一石の碁も、天田を相手にしては簡単では無かった。
 今度は一石が耐えた。必死になってヨセの手順を考えている。ヨセは一石の最も得意とする所だった。

 1手1手必然のヨセが続いた。
 他の4組はすべて終って、この1局のみとなっていた。
 会場の全員が事実上の決勝戦をじっと見ていた。
 大空名人も日之輪教授も草心もじっと見ていた。
 草心は一石に勝って欲しかった。もし、天田が勝てば、最後の相手を考えると天田にすんなり決まりそうな感じだった。
 一石が天田に勝って、宙太が一石に勝つ、草心はこの形になって欲しかった。
 勝ち負けにこだわらないことを、今まで宙太に教えてきた。また仏に仕える身としては、私心にとらわれて、自分の都合のいい考えをしてはいけないことは解かっていた。しかし、今回だけは正直、宙太にチャンスを残してやりたかった。
 『仏様、私の不徳をお許し下さい。宙太にチャンスを下さい』草心は心で祈った。

 『ミクロの碁だ。千里の道をミリ単位まで正確に計算するほどの精密な碁だ。一石君は、これほどの碁を打つのか』大空名人は思った。
 「一石君は数学に秀でていると聞いていますが、今はどの様なことをやっているのですか」
 名人が教授に聞いた。
 「大学院で光の“伝達速度の数式的解析”というのをやっています」
 「といいますと?」
 「つまり、何で光は光速で伝わるかという疑問を数学で解明しようとしているんです。光は本当に秒速30万kmという速度で飛んでいるのか、飛んでいる様に見えるだけで何か別の現象が働いていて、その様な速度で飛んでいる様に見えるだけなのかと言うことですよ」
 「うーん、良く解かりませんが」
 「そうですね、解かり易く、例をあげますと、音は空中を秒速300mとちょっとのスピードで伝わるんですよ。でも実際には空気が秒速300mで動いている訳ではなくて、実際は空気の分子(窒素とか酸素とかのガス)が振動して、その振動が伝わっているだけなんですよ。光にも光子と言って、小さな粒の様なものが本当に光速で飛んでいるのかなという、子供らしい素朴な疑問なんですよ」
 「そうですか、私には思いもつかない発想ですね」
 名人が微笑んだ。

 「もし、囲碁を数学的に解明しようとすれば、できるでしょうか」
 名人はさらに教授に尋ねた。
 「うーん、私も以前からその様なことは思うのですが、例えば、詰碁に限って言えば可能でしょうか。しかし、大局上の次の1手となると、おそらく・・・」
 「おそらく、不可能」名人が確認する様な口調で教授に尋ねた。
 「不可能と言う言葉は私も学者の端くれとしては使いたく無いのですが、人間の精神、心を数学で解明するような作業が必要になって来るでしょうね。と言うことは・・・・」
 「そうですか」
 「しかし、もし、完全ではないとしても、限りなく真理に近い1手を数式で解明しようとする作業は、もしできるとしたら、一石君をおいて他にはいないでしょう」
 「そうですか」教授の答えに名人は深いため息をついた。

 局面は終局に近くなってきた。
 二人は碁盤の中に没頭していた。
 宙太はモニターをじっと見て、動かなかった。正に自分が打っているかの様だった。
 『天田君も一石君も自分の碁を打っている。俺も自分の碁を打てばいいんだ』
 宙太は思った。

 終局は静かにやって来た。
 手止まりの1目を一石が打った。
 周囲がざわめいた。
 天田と一石がじっと碁盤を見たままだった。
 二人ともどこに問題があったか、じっと思い出している様な感じだった。
 そしてどちらからともなく「半目ですか」と言った。

 つづく