翔べ宙太(みちた)!73  宙太、持ち味を出すものの、非勢


 『音域とは石の変化なんだ、一石君は変化を嫌うんだ』
 『俺の碁は変化なんだ、無限の変化なんだ、無限に変化するんだ、俺の変化の中に一石君を取り込めばいいんだ』
 宙太は1手1手しっかり読みながら、変化の可能性の多い打ち方をした。

 『力田君は色んな音色が沢山入ってる。一石君はシンプルな澄んだ音色なんだ』
 宙太は天田の言葉を思い出した。
 『シンプルで澄んだ音は、色々な音色の中に入ってしまうと影響を受け易いんだ』
 宙太は天田の言葉の意味をしっかりと感じ取った。
 『一石君にもし弱みがあるとしたら、中盤なんだ。中盤の変化の中にこそ、俺と一石君の違いがあるんだ』宙太は勇気が湧いて来た。

 1手1手慎重に読んだ。
 自分の感性を信じた。
 局面が少しずつ開けて来た。
 誰の目にも非勢に思われた局面は、中盤過ぎた辺りでは、白が盛り返し、少し優勢にも見えた。
 「良くやった、よくここまで盛り返したな、あの一石君相手に」
 モニターをずっと見ていた大空名人が唸るように言った。
 「良く打っています。私も信じられません。やっぱり今の宙太は昨日の宙太とは違います」
 草心が言った。
 「違いますね。宙太君は沢山吸収しましたね。たった二日で」教授が言った。

 しかし、草心は益々落ち着かない様子になって来た。
 盛んに会場の入り口ばかりに目をやっていた。
 「これからが勝負です。今少し白が優勢です。これからが一石君の最も得意とするヨセに入ります。宙太君がどこまで保てるか、二人の持ち味の碁になって来ました」
 大空名人が言った。

 『やっぱり力田君は進化したんだ。思った通りだ、天田君と打って僅かの間に。前に棋譜を見た時の力とは別人だ。私はこれを恐れていたんだ、いや、進化した宙太君に勝ってこそ、本当の優勝者なんだ。最善をつくそう』
 一石は自分に言い聞かせた。
 一石の得意の大ヨセに入った。
 決して無理をせず、じりっじりっと1歩ずつ距離を縮めていって、最後の一歩で胸半分勝つ。そんな打ち方になって行った。

 一度は非勢になり、このまま終るのかと思われた局面が、逆転の気配を見せたことにより、周りは一層の人だかりとなり、会場の全員がこの1局だけを見ているかのようだった。

 さすがに一石のヨセる力はひたひたと宙太に迫って来た。
 形勢は混沌としてきた。
 宙太は良く耐えていた。
 草心に教わった通りプラスとマイナスの大きさを慎重に比べながら打ち続けた。
 形勢が少し動いた。一石のヨセは正確を極めた。

 モニターを見ながら草心はまずいと思った。
 宙太を見た。宙太はじっと盤面を見続けていた。
 息が少し荒くなっていた。
 草心はしきりに会場の入り口を気にしていた。

 『このままヨセられてしまうのか、一石君は強い。天田君も強かったが一石君は壁のようだ』
 宙太は思った。宙太はさらに息苦しくなって来た。

 『少し良くなった。もうここまでくれば、私のものだ。力田君小さいのに良くやった。私をここまで良く追い詰めたものだ』一石は少しほっとした様な気持ちになった。
 そして宙太の白地に侵略をねらう1手を、今までになく、石音高く「バシッー」と打った。
 駄目押しをするかの様に。受けなければ白地が一挙に減ってしまう。宙太は追い詰められた。

 宙太はじっと目をつぶった。
 真っ暗な宇宙に一人浮いているような感じがした。
 『アハハハー宙太お前は何を頑張っているんだ』
 真っ暗な中に乱暴な声が聞こえて来た。
 『あなたは誰ですか』宙太は心で尋ねた。
 『早く楽になれー。負けましたと言えば、それで楽になれるじゃないか。バカだなあ、お前は何の為に苦しいのを我慢しているんだ』
 さっきよりももっとハッキリと声が聞こえた。
 『あなたは誰ですか、どうして俺に負けろと言うんだ、俺は、俺は・・・あなたは誰だ』
 宙太は心で叫んだ。
 『アハハハー、やせ我慢はやめとけ。オレか、オレはお前と一緒にいるじゃないか。オレは宙太だ』そう言って声は消えた。
 数秒、沈黙があった。

 『宙太』また声がした。
 『宙太、最後まであきらめるな』優しい声だった。
 『宙太、まだ力が残っているだろう。その力を全部出すんだ。神様の問題を解いた時のことを思い出すんだ。あの時は宙太はもっと必死だったんだよ』
 『あなたは誰ですか』宙太は心で尋ねた。
 『私は宙太、いつもあなたの味方だよ』優しい声は消えた。

 『宙太、しっかり』あっ、母ちゃん、『宙太、大丈夫だ』あっ、和尚さん、『力田君、ガンバレ』あっ、校長先生、『力田君、あきらめるな』あっ、二宮先生、『ミーちゃんには魂の力があっとよ』あっ、リマ婆ちゃん、次々に宙太を励ます声がして、消えていった。

 局面が浮かんできた。
 先ほど一石が打った石が見えた。流れるように局面が動いて反対側が大きく映った。黒に取り囲まれた白石が四つ見えてきた。その白石の1つにうっすらと人影が映った。
 『私、みっちゃんの力を信じている、みっちゃんは絶対大丈夫』あっ、はっちゃん。
 二つ目の白石にクラスの風景が映った。大勢の友達がいた。
 『力田君、頑張ってね。皆で応援しているから』あっ、柴田さん。
 『宙太、オレの事忘れないでくれよ。宙太が日本一になったらオレ嬉しいなあー。オレのたった一人の親友だからな』あっ、ゴンちゃん。
 三つ目の白石にゴンが映った。そして消えた。

 『ワン、ワン、ワン、ワン』けたたましくイヌの鳴き声が聞こえて来た。あっ、ジュピターの声だ。ジュピターどうしたんだ。宙太は心で叫んだ。
 同時に一番端に有った白石が光りだした。
 光は少しずつ消えていって、ジュピターが宙太を見つめながら、吠える姿がくっきりと浮かんできた。
 『ジュピター』宙太は心で叫んだ。

 草心がじっと目を閉じている。宙太の苦しそうな姿を、ただ仏様にすがりつきたい様な気持ちで見つめていた。
 局面はあきらかに一石に利があった。
 この局面からどう挽回できるというのだろうか、草心は『宙太の力もこれまでか』とそんな思いがふっと頭をよぎった。

 その時、勢い良く会場の入り口のドアが開いた。

 つづく