翔べ宙太(みちた)!74  心力、魂を傾注して一事に当たるとき、人は実にはかりしれない、意外な力を出せるものである


 草心はその音にいち早く反応した。
 入り口にはがっしりした体格の男が肩で息をしながら立っていた。
 草心は周りの人を押しのけるような勢いでその男に近づいて行った。
 そして挨拶もそこそこに、いきなり男の腕をつかまえて「こっちへ来て下さい」そう言って引張るようにして、つれて行った。
 「すみません、ちょっと譲って下さい。お願いします」周りの人たちを掻き分けながら「ここに立って下さい」草心は男を立たせた。
 男はじっと立った。

 宙太はまだじっと目を閉じたままだった。
 仲間達が走馬灯の様に映っては消えていった。
 白石をじっと思い浮かべていた。
 「宙太!」大きな声が聞こえて来た。
 今まで聞こえたどの声よりも何倍も大きな、そして、優しく包み込む様な声が聞こえてきた。
 「宙太」二度目の声に宙太は目を開けた。
 宙太の目に大きな男の胸が映った。
 宙太の視線をさえぎる様に大きな男が立っていた。
 宙太はそっと視線を上げた。

 「・・・と、とうちゃん」「とうちゃん」宙太は思わず、大声で言った。
 大介はニッコリと笑って宙太を見つめていた。ニッコリ微笑んだまま大きくうなずいた。
 『父ちゃんが来てくれたんだ、間に合ったんだ』宙太は全身が熱くなった様に感じた。
 力がわきあがって来る様な感じがした。
 局面をじっと見た。
 先ほど暗闇の中で浮き上がって見えた白石をじっと見た。じっと考えた。
 『自分の力を信じるんだ』心でそう言い聞かせた。
 そしてゆっくりと白石を1つつまむとバシッーと打った。

 「えっー」一石は驚いた。
 さきほど一石の打った黒には応ぜず、反対側の黒に手をつけて行った。
 一石は驚いた。その手は全く予想の中には無かった。
 外から押さえれば、その白石は持ち込みになる。
 内から押さえれば、明らかな利かされで優勢とはいえ僅かの差はいっぺんで消し飛んでしまう。
 しかし、外から押さえて白石の持ち込をねらっても、万一手になったら、それで碁は終わりになる。
 一石は考えた。『うーむ、力田君、君は何所までやるんだ。どこからそんな力がでて来るんだ』一石は顔面にパンチを食らった様な衝撃を受けた。
 『どうすればいいんだ、どうしようもない、打つ手は2つに1つしかない』
 一石は外から押さえてその白石を取り込む作戦に出た。

 1手1手宙太は読みを確認するかのようにゆっくりと打っていった。
 周りはざわめいてきた。
 これで、勝負が決まる。
 白は黒の中で生きる手があるのか、それとも持ち込みになってしまうのか、どちらにしてもそれで決着がつく。
 一石も必死で読んでいる。1手1手必然の応酬が続いている。
 モニターを見つめている大空名人と教授は一言も発せず、じっと動かないままだった。
 草心は宙太の表情を見た。先ほどの苦しい息遣いは消え、しっかり確信に満ちた顔つきになっていた。
 草心は宙太の読みを信じた。

 十数手進んだ。一石の手が止まった。
 じっと局面を見つめたまま一石は動かなかった。
 『一瞬のスキだった。あの侵略をねらった1手が、一瞬の気のゆるみだった。この黒をしっかりと成形しておかなければいけなかった』一石は悔やんだ。
 それまでじっと動かなかった大空名人は、そばにいる草心をじっと見た。
 そして誰にも気づかれない様に小さくうなずいた。
 一石はじっとしたまま動かない。動かないまま数十秒がすぎた。周りの観衆は一石の次の1手をじっと待っていた。
 「負けました」一石は小さくハッキリと言って、おじぎをした。
 「ありがとうございました」宙太も小さくおじぎをした。
 そして顔を上げた。

 「とうちゃん」宙太は椅子を引いて立ち上がろうとして、フラフラっとよろけそうになった。
 そばによった大介はしっかりと宙太を受け止めた。
 「宙太、宙太良く頑張った」大介はそう言って胸がぐっと詰まった。
 そのまましっかりと宙太を抱きしめた。
 草心がそばに来た。
 大介に抱きしめられたままの宙太の肩に手をおいて、ぐっと力を入れた。
 「あっ和尚さん、俺勝った」
 「うん、良くやった、良くやった」
 草心もそれ以上、言葉が続かなかった。

 つづく