翔べ宙太(みちた)!76  春、宙太の進む路


 早春の天道寺はひっそりと静かなたたずまいの中にあった。
 桜の蕾はまだ固く、気の早い菜の花が2つ、3つ、ためらいがちにほころびはじめていた。

 お堂の裏には、良く手入れの行き届いた墓地があり、ところどころのお墓の前には野の花が添えてあった。
 一番奥の日陰になった一角の小さなお墓の前に、二人の男が立っていた。
 すらりとのびた長身のりりしい若者は手をあわせ、頭をたれて長いお参りをしていた。
 やがて顔を上げた。
 「もう、3年にもなるんですね」若者はそばの男に言った。
 「そうだね、早いものだ」
 「リマ婆ちゃんの草もちはおいしかったなあー」
 「宙太の大好物だったからな。母さんは宙太に食べさせるのが、とっても嬉しくて、本当に楽しそうに作っていたよ」
 「特訓の時なんかは『お昼のおかずは何がいいかね』といつも言ってたけど、出てくるのはいつも肉じゃがばっかりだったな」
 男は笑った。

 「婆ちゃんの肉じゃがは本当においしかったですよ。でも一度だけおやつの草もちを僕は5個も食べたときがあって、その時はお昼もお腹いっぱいで、食べられなかったけど、婆ちゃんが肉じゃがをお皿に大盛りにして持ってきてくれたんです。婆ちゃんがいなくなったすきに、ジュピターを呼んで、一口食べさせたらもっとよこせってせがむんですよ。それでもう1つやったら、それもペロッと食べて、もっとよこせってせがむから、皿ごとやったら全部食べてきれいに皿までなめて、ピカピカになったんですよ。調度その時婆ちゃんが戻ってきたんで、まずいと思ってさっと皿を取って自分の前においたんですね。そしたらそのピカピカの皿を見て『まあーミーちゃん、うれしいねー。皿までなめるほどおいしかったのかい。お代わり上げるからもっと食べなさい』そう言ってさっと皿を取って『僕があーっ』と言ってる間にまた大盛りの肉じゃがを持って来たんですよ。しょうがないから頑張って僕が全部食べました。あの時は苦しかったあー」

 「あははははー」男は大声で笑った。
 「そんなことがあったのか。あはははー」男は可笑しくてしょうがないと言った風に笑いが止まらなかった。
 「今の話、母さんも聞いてきっと笑っているよ。あははははー」

 二人の男は話しながら歩き始めた。
 「晩年の母さんはいつも宙太が来てたんで、本当に幸せだったな」
 「宙太は卒業したらどうするつもりかな、進路はもう決まっているのかな」
 「はい、それで今日、和尚さんにご相談したいと思っていまして」
 「そうか、じゃ、ゆっくりお茶でも飲みながら話そう」
 二人は天道寺の本堂の縁に座り、庭を眺めながら話し始めた。

 境内をすっぽりと包み込んでいる日差しが暖かかった。
 「あの時、ジュピターが吠えてミーが飛び上がって碁石がバラバラになる事件が無かったら、宙太の碁の才能は眠ったままだったかも知れないね」草心が言った。
 「そうですね。あの日以来碁に接する様になってから、色々な人と色々な出来事があり、その様な出来事すべてが不思議なほどつながりを持っているんですね。全く関連性の無い様なことでも、よくよく考えれば、深いところで繋がっているんですね」
 「そうだね。そういうもんだろうね、人生って」
 二人はしみじみと話を始めた。

 長い時間話し合っていた。日が少し傾きかけて来た。
 「20年か、30年かかってもやるつもりか」草心が言った。
 「はい」
 「そうかあー・・・・・」
 しばらく沈黙が続いた。
 「大変な夢だ。でかすぎて今まで誰もやったことが無いことだ。でも、宙太だったらきっとやり遂げるだろう」草心は小さく確信に満ちた声で言った。
 「高野山に私の師匠がいるので話をしておこう。伊勢もそこから遠くないので、きっと上手くゆくだろう」
 「はい、ありがとうございます」
 「淋しくなるなあー」草心はしみじみと言った。
 「囲碁の精神とそれぞれの宗教の精神とを融合できる様な気がするんです。囲碁の精神を教えながらそれぞれの宗教の教義との融合が確立できたら、民族や宗教を超えて共通した精神が確立できたら、21世紀はきっと平和な世紀になれると思うんです」
 「そうか、そうか」草心はただうなずくだけだった。

 つづく