翔べ宙太(みちた)!78  大空名人、引退!


 大空名人の突然の引退のニュースが飛び込んできた。
 宙太の卒業式も終わり、遅い朝食を取っている時、テレビのニュースワイドショーに大空名人が出演していた。
 「突然の引退に皆が驚いています。名人どうしてですか。引退なさるお気持ちをお聞かせ下さい」
 司会者が尋ねた。
 「・・・・・」少しの間、沈黙が続いた。
 名人は何から話せばいいのかと迷った様な表情をしながら「この日が来る事を待っていたんです。やっと引退できる日が来ました」

 「えーっ」司会者、スタッフ一同驚いた様な声を上げた。
 宙太はテレビに釘付けになった。
 「私の力は、今が頂上です。やっと登りつめたんです。もうこれ以上続けても、これより上に行くことは出来ません。ただ後は下降するばかりです。だからもう打つ意味はないのです」
 「名人は未だに負け知らずで、タイトルも5冠持っていらっしゃいます。先日も完璧な防衛戦を果たされたばかりです。今引退されるのは、余りにも惜しいです」
 司会者はあせった様に引退を引き止める様な口調で言った。

 「そう言ってくださるのはありがたいのですが、さっきも言いました様に、そうだからこそ、今引退しなければいけないのです。今私の最高の力はそう長くは続きません。ほんの後少しの間です。この残された貴重な時間に私はどうしてもしなければいけないことがあるんです」
 「そ、それは」司会者は名人をじっと見つめたまま尋ねた。
 「私の最高の力の残っている僅かの間に、私の弟子と私の力の全てをかけて対戦をしたいんです」

 「えーっ、名人はたしかお弟子さんはいらっしゃらないとお聞きしていますが」
 「いいえ、私には弟子がいます。素晴らしい三人の弟子がいます。その弟子達も立派に成長しました。そしてもうすぐ飛び立とうとしているんです。今この時じゃないとダメなんです。私がここ5年近く待ち望んだチャンスが無くなるんです」
 「その素晴らしいお弟子さんとは、どなたなんでしょうか」
 「はい、一石有斗君、天田明君、そして力田宙太君です」

 「えーっ」宙太は驚いた。名人の口から力田宙太君と聞いた時は鳥肌が立った。
 「何ということだ、名人は僕のことを弟子と言った」
 「いまおっしゃった三人は、たしかもう5年近くなりますか、名人が奇跡の天才とおっしゃった伝説の少年達ですよね」
 「はい、そうです。その後、三人の少年達はお互いに友達になり、青少年協会のネットで対局を続けました。私の期待通りに、いや、それ以上に立派に成長しました。それでどうしても三人と打ってみたいのです」

 「えーっ、それでは名人は三人と打つために引退をなさるのですか」
 「はい、そうです」
 「でも打つ気になれば、引退なさらなくても打てるのではないですか」
 「そうですね、お好み対局としてショーとして打てば、それはそれで打てるでしょうね。でもそんな対局をやって何の意味があるんですか。私は必死の勝負をやりたいんです」
 「えーっ、あの三人の少年・・・いやもう今は青年ですね、三人の青年とどうしても勝負したいから引退なさるんですか」
 「はい、そうです。勝負ですから現役のままだと、色々な関係者にご迷惑を掛けるかもしれませんので、引退して私個人としての勝負なんです」

 「迷惑を掛けるといいますと、もしかして5冠王の名人が負ける場合もありえると・・・そうすると囲碁界の関係者は困ると言うことですか」
 司会者は聞きにくい事をズバリと聞いた。
 「はい、そう言うことです」
 しばし沈黙が続いた。

 司会者は気を取り直すかの様に呼吸を整えた。
 「引退なさると言うことはタイトル5冠を返上されると言う事ですね。不敗の名人が、天才とは言え素人の青年に敗れるかも知れない危険をおかしてまで勝負を挑んで、名人に何の利益があるのですか」
 「えーっ」名人は司会者の言葉に驚いた。
 「今、この時、今しかないこの時、あの三人の天才少年達と、しかも私の力の最高と思われる時、全力の戦いができることに、私に何の損失があるのですか」
 反対に名人が司会者に尋ねた。
 「えーっ、いやー、そう言われましても・・・・」
 司会者は慌てた。

 「あれから私はずっと三人の対局を見続けてきました。今はいい時代ですね、ネット対局があり、お互いが離れていても打てるし観戦できるし素晴らしいですね。今三人はお互いに五分五分の成績ですよ。私は本当に1局ももらさず見てきました。記録もとってあります。見事に成長しました。三人はこれからどういった道に進むのでしょうか。噂では三人ともプロにはならないと聞いています。それぞれ独自の道を歩んで行くことでしょう。そうしたら三人の青年もこれからは囲碁を打つ時間も無くなるでしょう。これから飛び去ってゆく三人の青年への私からの餞(はなむけ)として、また有為ある三人の青年から去り行く老兵への餞として、ぜひ・・・ぜひ、生涯今しかないこの時、力田君、天田君、一石君、私と対局して下さい。是非打ちましょう」名人の力強い言葉だった。

 つづく