翔べ宙太(みちた)!84  名人、3人の総評


 「一石君の碁は完璧です。完全無欠の碁です。恐らくこれ以上の完全無欠の碁を打つ棋士は今後出ないでしょう。空前絶後の才能です。この碁を布石から終盤まですべて研究すれば、それで1冊の本ができます。すべての囲碁ファンにとって必読の教材となるでしょう」
 会場からはどよめきが起こった。
 司会者は続けた。
 「一石君は、名人の碁をどのように感じましたか」
 一石は大きく深呼吸をした。そして言った。
 「名人の碁は、数学では解明できない深いものを感じました。今までに人間が考案してきた、どのような定理や公式を使っても計れない、神秘を秘めています。できるなら今日のこの碁を解明できる理論を発見したいと思います」
 会場からは「ウオー」と言う声が上がった。
 「素晴らしい感想をありがとうございます」

 「名人、天田君が先ほど名人の碁について感想を述べてくれました。名人は天田君の碁をどの様にお感じになりましたか」
 名人は顔を少し赤らめて恥らうような表情をしながら流暢(りゅうちょう)に話し始めた。
 「天田君の碁は美しい。モーツアルトの旋律の様に、ベートーベンの田園の様に、万人の心の中に染み込んでゆきます。花が咲き、実が実り、やがて枯葉が落ちてゆく様に、私心の全く無い自然の摂理のようです。あまりの美しさに私も戦いを忘れて不覚にも酔いしれてしまいました。まあ、私も老境に入ったと言うことでしょうか」
 会場からはかすかな笑いとも、どよめきとも取れるような「ワー」という音が響いた。
 そして会場が静かになるのを待って言った。
 「もし、神様が碁を打たれるとしたら、きっと天田君の様な碁に違いありません」
 会場は一段と「ワー」となった。

 いよいよ会場は盛り上がってきた。
 司会者は弾むような声で、「天田君の感想は先ほど聞きましたので、最後に力田君の碁についての名人のご感想をお聞かせ下さい」
 名人は宙太を見た。
 そして何とも優しい表情になった。
 自分の孫に接する時の様なそんな表情をした。
 そして明るい声で晴れ晴れとした口調で言った。
 「力田君、良く戦ったねー。力田君の碁は宇宙です。宇宙の営みのようです。これほどの可能性と創造性に富んだ碁を私は知りません。力田君は何所まで広く、どこまで遠く可能性を見ているのでしょうか。私の力では計り知れません」
 ここまで言うと、会場はどよめいた。
 名人はそのどよめきを制するかのように、左手を少し前に出した。
 場内は静まり返った。
 名人は続けた。

 「力田君の1手、1手は星です。宇宙に光り輝く星です。いつかは燃え尽きる命と知りながらも、命ある限り、ひたすら輝き続ける星です。先ほど天田君をして神様のような碁だと言いました。その通りです。今度はもし私が神様から、人間と碁を打ちたいから誰か一人選んで欲しいと頼まれたら、私はためらわず力田君を推薦するでしょう」
 また会場がどよめいた。再びそのどよめきを名人は制して言った。
 「この限りない可能性、無限の創造性を秘めた碁に接して、神様は大いに喜ばれることでしょう。今日多くの戦いや多くの貧困、そして多くの病に苦しむ人間を沢山見ておられる神様が、力田君の碁に触れることで、きっと安堵されることでしょう。人類と言うはかない創造物を創ったことは決して間違いでは無かったということに、そして、これからの人類の将来も大丈夫だと、きっとお思いになるに違いありません」
 会場は万雷の拍手に沸いた。
 名人の言葉にそっと目がしらを押さえている多くの人たちの姿があった。
 宙太はじっと名人を見ながら話を聞いていた。

 司会者は、宙太のそばに寄ってきた。
 「力田君、名人からこの上ないお褒めの言葉をいただきました。力田君は名人と対戦して名人の碁に対してどの様な印象を受けましたか?」
 宙太は「ハイッ」と答えた。
 明るい笑顔で続けた。
 「名人の碁は、無限です。名人の碁に接して私は果てしなく広く、果てしない暗黒の宇宙の中に、一人さまよっている様な感じを受けました。名人の碁には、宇宙の中に光り輝く無数の星の数よりも、さらに多くの星があります」
 会場は「ワー」と今までに無い大きな歓声につつまれた。
 名人は一段とピッとした表情で全体を睥睨(へいげい)した。
 それを見て全員が一瞬に静まり返った。
 そして名人は毅然とした態度で最後を締めくくった。

 「会場の皆様、私達は今、ここに奇跡の天才三人と遭遇しました。三人はそれぞれに優劣はありません。善悪もありません。勿論序列もありません」
 皆様一人一人がもっておられる、これまでに培われて来た価値観、人生観に照らして受け止められれば良いと思います。この三人がこれからどのような人生を歩もうとも、今日まで培ってきた経験はきっと、それぞれの中で秘めた力となって、支えになってゆくに違いありません。三つの大きな星が燃え尽きるまで、輝き続けることを皆で信じましょう。皆様ありがとうございました」
 万雷の拍手が沸き起こった。
 しばらく鳴り止まなかった。
 宙太は会場の中段にいる草心と母に手を振った。
 二人の目には涙があふれていた。
 感動さめやら無い表情をしながら、皆は会場を去って行った。
 辺りは先ほどのざわめきが嘘の様に静まり返っていた。
 草心はまだ壇上にいる4人の元へ行った。
 どうしても確かめておきたかった。

 つづく