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  「無名の挑戦者たち」  GO−NET誕生物語   郷たける


      10 発表の前後


 話はこの時より三ヶ月ほどさかのぼる。
 中山は一人で黙々とプログラム作成に専念していた。久はセールスから帰ってくると、休む間もなく、プログラムの不具合のチェックに専念した。事細かに中山に指示した。
 中山は弱音一つはかず「はい」と言うだけだった。
 久の要求は日々厳しくなっていった。
 もう少しでイメージしたものが出来上がるところまできていた。
 そんなある日、何の連絡も無く中山が出社しなかった。
 久は初めのうちは風邪でも引いたのかと思っていた。
 その内来るだろう、連日のことだ少し疲れたんだろうと安易に考えていた。
 だがお昼近くなっても電話一つ無い。久は昨日までの中山とのやりとりを思い起こしてみた。そしてふと不安になった。
 急ぎ中山の家へバイクを走らせた。

 ノックをしたが、返事がなかった。そこで玄関のドアを恐る恐る開けて、「こんにちは」と大きな声を出した。
 すると奥の部屋から母親が慌てたような表情で出てきて、いきなり「どうもすみません」そう言うと「ゆたか!」と大声で玄関のすぐ側にある階段を見上げながら呼んだ。二階からは返事が無かった。
 母親は2度3度と大声で呼んだ。しばらくしてゆっくりと階段を下りてくる足音が聞こえてきた。
 「やあー中山君、どうした風邪でも引いたのかな」
 「はあーいやー」力無く首をうな垂れた。
 生気のない目が半開きのまま足元を見つめたままだった。
 久は「しまった」と思った。
 この様な状態は過去何度も遭遇していたのだ。リコーに勤めていた頃、又友人のPJS社にいた時、プログラマーが仕事に行き詰まった時、引きこもってしまう例は珍しくないのだ。
 久の要求が強すぎたのだ。反論しない中山に対して、ついつい大きすぎる要求をしてしまっていたのだった。

 久は努めてゆったりと構えた。そして自然に柔らかい口調で「忙しすぎて済まなかったね、疲れたんだろう2〜3日ゆっくり休んで、元気を取り戻して欲しい。」
 「中山君の出来る範囲で作ってくれればいいんだよ。第一段階でできるところまで作って、後はゆっくり勉強しながらバージョンアップを計っていけばいいと思うんだ」
 中山は力無く「はあー」と言って首を振るだけだった。
 「お母さん、私が仕事をさせすぎて疲れてしまったんです。本当に済みませんでした2〜3日ゆっくり休んで下さい」
 そう言って帰った。
 色々言えば逆効果になる。中山の力を信じるしか無かった。

 久もその日は新聞販売店へのセールスにも行く気が無くなっていた。どうしたものかぼんやりと事務所の外を眺めていた。
 「もう夏か」外の日差しが強くなっていた。
 中山が来てから4ヶ月が経っていた。
 「あせってはダメだ待つしかないさ」そう自分に言い聞かせた。

 2時を少しすぎた頃、ドアがゆっくりと開く音がした。
 久は振り返った。中山はうつむいて靴を脱いでいた。
 「中山君どうした、休んでいていいんだよ」
 「すみません、いいです大丈夫です」そう言うとパソコンに向かいいつもの様にすごい早さでキーボードを打ち始めた。
 その様なことあって間もなく当初計画したソフトが一通り出来あがり、後はデーターを打ち込むだけとなった。

 棋譜登録に古典棋譜を打ち込んで名局鑑賞とする。定石辞典から代表的な定石100選んで、その変化図を一つの定石から10位選んだ。
 詰碁が問題だった。プロの作った詰碁集から勝手に使うわけにはいかない。かといって許可を取れば金がかかる。自分で作る力などとても無い。そこで思案のあげく、詰碁辞典からとって基本詰碁と題名をつけた。
 古典の詰碁は一般的には難しすぎる。しかしこれから取るしかない。そこであえて難解詰碁と題して出すことにした。

 データ量としては膨大である。久がセールスをやりながら打ち込むとなると、発売が遅れる。
 専念してやってくれる人を探すしかなかった。
 しかも碁を知っている人じゃないと何かと不都合だ。棋力も少なくとも初段くらいは必要じゃないかと思った。更に安く仕上げるためには昼間やってくれる主婦パートが良いと思った。
 程なく思い浮かんだのは以前いきつけの石島碁会所で見た女性だった。30前半と思える小柄な人で、物静かに、その時は窓側のイス席で打っていた。
 久はそれまで女性が碁を打っている姿に接したことが無かったので、その時の印象が強く残っていた。その時どのくらいの腕前だろうと思った記憶があった。チャンスがあったら打ってみたいなとも思った。
 早速石島を訪ねて行った。

 「以前ここで会った女性にパートとして頼みたいことがあるんですが、コンピュータに碁の棋譜を打ち込む仕事です。私の事務所に電話を入れるように伝えて頂けませんでしょうか」その様な内容を伝えた。
 意外に予想したよりも早く、翌日電話があり、その女性はすぐにやって来た。
 「江川です、宜しくお願いします」
 久はこの人が本当にあの時の女性かと思った。小柄だけど以前の印象とは違ってやけにテキパキした活発そうな人だった。
 もしかしたら人違いじゃ無いかとも思ったが、しかしどちらにしても仕事をやってくれればいいことなので、その女性に頼むことにした。
 この江川との出会いがこれからのGOーNETの営業になくてはならない大変な出合いとなった。

 江川がデーターの打ち込みに専念して、2ヶ月とちょっとで予定の量を打ち終わった。
 中山もすっかり回復し、事務所にいる妻と江川ともう一人新聞販売店の操作説明に行く仕事に2年以上前から働いている加賀の三人の女性に囲まれて「豊ちゃん」と呼ばれてかわいがられていた。

 いよいよ週刊碁に全面広告が掲載される日が来た。
 それまで約2週間ただじっと待つしかなかったが、囲碁に関するニュースだけは新聞、雑誌のすみずみまで注意を払って見ていた。さきがけて他社が出すのではないかという不安が益々大きくなっていたのだ。
 幸いにどこにもそんな記事は載らなかった。
 GO-GO-NETWORK(究極の碁盤・遠くの人と碁が打てます)久の考えた図案が週刊碁の全面広告欄に載った。
 61年の11月4日号だった。

 「売れないかもしれない」その広告を見た瞬間、確信に近い不安がおそってきた。作っているときは夢中でそんなことは考えもしなかったが、一旦作り上げ、ほっとしてこれからどうしようと考えたときに、売れないかも知れないという不安が時折脳裏をかすめていたのだ。
 その不安は不幸にも的中することになるのだが・・・・。
 しかし翌日からぽつりぽつりと反応があった。

 名古屋で歯科医院を開業する横井先生だった。横井はパソコンにも囲碁にも趣味の粋を超えていた。
 以前からパソコンに碁のソフトが組み込めないかと横井は考えていたがそんな時間は無い。それで広告を見て早速飛びついたのだった。第一号の客となった。その後長く交友が続いた。
 しかし横井には電話代が大変だった。名古屋と松戸である、電話の市外通話と同じである。しかも300キロを越えている、一局打つのに通信費が一万円近くもかかった。それでも苦にすることなくソニーの改良版が出る迄久と何十局も打つことになる。

 久の不安は的中した。
 詳しい資料を送って下さいという問い合わせは十数件あったが、しかし買いますという返事は最初の横井以後ぱったりと無かった。全国で100セットの見込みなど大甘の皮算用をしていたことが恥ずかしくなった。


                                つづく