アクセスカウンター


  「無名の挑戦者たち」  GO−NET誕生物語   郷たける


      11 徳田との出合い


 千代田区の神田小川町に東海銀行の神田支店がある。
 JRのお茶の水駅の聖橋から大手町に向かう本郷通りと秋葉原から九段に向かう靖国通りが交差する南側の角に大きなビルが建っている。
 そのビルの7階から9階まで東海銀行の計算センターCS社(セントラルシステムズ(株))が入っている。
 徳田泰夫はそこのシステムエンジニアであり、新しい仕事の開発に携わっている。40前のベテランにもかかわらず、柔軟な発想のできる男だった。
 いつも複数の仕事をかかえていて、平日は夜の10時、11時迄の残業はいつものことだった。その様なハードな状況を楽しんでいる様にもみえる仕事人間だった。徳田は囲碁を唯一の趣味としていた。
 平日の多忙のストレスを一気に晴らすように土日の休日は囲碁を打った。その棋風は人柄とは正反対の少しの妥協もしない激しいものだった。
 社内の囲碁会の席でも仮に上役であっても徹底して厳しい打ち方に終始した。
 そして棋力も社内では抜きん出ていたため、たとえ役員といえども囲碁に関しては徳田の前では沈黙するしか無かった。

 徳田は61年の6月25日に一つの企画書を作成し、それを社内悋気にかけるよう上司に提案していた。
 全国の家庭と家庭を電話回線で結び、中心にCS社のコンピュータを置いて、全会員をコントロールして囲碁の対局を行うというものだった。
 家庭用パソコンとしてはMSXを使うことまで、久の発想とほぼ同じといって良い。
 しかし、久と異なる所は、将来の普及における経費と利潤の予想を綿密に行っており、開発予定からそれ以後普及における営業活動方針に至るまできめ細かく計画された30ページにも及ぶ力作だった。
 更に、囲碁は、第一段階で、将来通信技術の発展にともなって将棋やオセロ、トランプ、マージャン等、今日一般に行われているネットゲームを予想するところまで視野に入れたものだった。
 しかし上役の反応は弱かった。何といっても上司の中に碁を理解するものが少ないということもあるが、やはり当時としては飛躍し過ぎていた。
 パソコンを使ってまで碁を打つだろうかというところが本音だった。

 徳田はそれにめげずソニーにも直接働きかけている。
 その時の窓口が企画担当の大村だった。
 ソニーもMSXを使うということで一応の関心を示してはくれたが、ここでもやはり反応は今一つ盛り上がらなかった。
 ソニーが動くとなると、少なくとも数十億の需要が見込めるものでなければいけない。碁に特化してそれほどの需要があるとは当時思われなかったのだ。
 徳田の思いとは異なり事態は進展しなかった。
 そして61年の11月上旬、囲碁新聞紙上で久の発表したGO- GO-NETWORKの宣伝広告を見ることになった。

 徳田はバットで頭を思い切り叩かれたほどの衝撃を受けた。
 徳田は社内で唯一の理解者だった桜木常務にその広告を見せた。「思っていた通りです、必ず誰かがやるんですよ、先を越されたじゃないですか」徳田は慌てていた。
 桜木は黙って広告を見ていた。
 「私達もすぐに取りかかりましょう、黙って見ているだけですか」徳田の声は桜木を詰問するかの様な調子になっていた。
 「徳田君、落ち着きなさい、慌てても何もいい結果にはならない」「・・・・・・」
 「この広告にはソニーのMSXUとあるじゃないか、君もソニーに話を持っていたんじゃなかったかな、それだったらまずソニーに連絡して、このアイ・システムという会社がどんな会社か調べてみることだね、そして話によってはその社長と会ってみて、使えるものなら使ってみれば、いいじゃないか」「・・・・・・」
 「こんな企画は全部一社でやろうと思わないで、それぞれ使えるものがあったら、使えばいいんだよ」
 ビジネスの修羅場をいくどとなくくぐり抜けて来た桜木はさすがに冷静であった。
 早速徳田はソニーの大村に連絡を入れた。
 その時すでに大村は、東関東ソニーの所長からの話で、久の存在を知っていたのだった。

 しばらくしてソニーの本社から電話があった。
 「ソニーの大村と言います、実はですね、ある会社の人から連絡がありましてね、葦原さんに会いたいという人がいるんですよ、以前葦原さんと同じ様なことを考えている人がいましてね、是非会ってみたいから、連絡してみてくれないかと言うんです、セントラルシステムズの徳田さんという人ですよ」
 久は二つ返事で会うことになった。
 セントラルシステムズは銀行業務の外にも民間の企業からも広く計算業務を請け負っており、その時は徳田が囲碁の企画書を提出した時から半年ほど経過していた。そしてこれからは広く色々な分野に進出しなければいけないという雰囲気が社内に盛り上がっている時だった。
 久は徳田に電話を入れた。
 「それでは、明日二時にお会いしましょう」場所は松戸駅前のパチンコ屋の2階の喫茶店に決まった。
 お互いに顔は知らないが徳田は黒い大きな鞄を下げているとのことで行けばそれなりに分かるでしょうということだった。

 先に久が着いた。どんな人が現れるか、少しドキドキしながら、喫茶店の入り口が見えるように座って待った。
 約束の二時少し前に徳田は黒い鞄を持ち、いかにも律儀な勤め人風といったさっぱりとした雰囲気で現れた。
 会った瞬間、二人は同時に「えっー」と大きな声を出した。
 確かにどこかで会っている。初対面ではない、二人はほとんど同時に「もしかして本因坊!」という言葉が口に出た。
 新松戸の駅前から歩いてダイエーの方向に2,3分の所に碁会所「本因坊」があった。久はセールスの帰りに夕方、月に二度位の割合で顔を出していたのだ。
 その時、顔を見たお互いが印象に残っていたのだろう。
 しかし二人はその時まだ対局したことは無かった。

 以前久は、ここの碁会所に頼んで、通信対局のソフトが出来上がったばかりの時、囲碁ファンがどんな反応するかデモンストレーションをしたことがあった。
 その時は2台のMSXを持ち込み、2台並べて直接ケーブルで結んで二人の人に打ってもらった。
 4〜5人の人は何だろうとちらちら関心を寄せてくれたが、ほとんどの人は自分の打つ碁に夢中で全く関心を示さなかった。
 二人は自己紹介もそこそこに通信対局にかける夢を語り出した。
 徳田は全国をネットワークで結ぶ必要があることを強調した。久も以前からその必要性を感じていて、二人の話は熱く続いた。
 何の掛け引きもなく二人でこれからの開発の段取りを語り合った。
 二人で協力しましょうと約束した。

 久は徳田の率直な態度を信頼した。
 徳田も久の情熱に心動かされた。
 気がつくと外は薄暗くなっていた。
 徳田との出会いによって今後大きく進展していくことになった。
 久が予定していた100セットの販売とは比較にならない大きな価値のある出合いとなったのだ。
 これこそが久が最も望んでいた宣伝広告の効果だった。

 そのようなことがあった後、しばらくして再びソニーから連絡があった。晴海のビジネスショーに出さないか、アスキーのブースの一角を使っても良い、という話だった。しかも出資は格安でいいという。
 晴海のビジネスショーに出展する? 自分の作品がビジネスショーに展示できるなんて、久は冗談じゃないかと思った。出して色々な人の反応を見るのは今後の改良にも役立つし、いいかもしれないと思ったが、しかし、次の瞬間、ある不安がよぎった。
 もし画面や操作性を見られたら大手のソフト会社はすぐにでも更に改良した物を出してくるかも知れない、そうなった時自分は太刀打ちできるだろうか、迷いが生じた。
 それなら出展を断るのか、久は自問した。「もう発表してしまったんだ、後は何があっても突き進むしかないんだ」自分に言い聞かせた。
 当日は中山と二人で出かけた。以前碁会所「本因坊」で行ったように2台をケーブルでつないで通信対局を行った。
 多くの来客の中でほとんどの人はチラッと見ただけで素通りしてしまうが、中にはやはり碁に興味を持つ人もいて、立ち止まって、しきりに感心してくれた。
 「もうこんな時代になったんだね」とか、「これは面白いね、相手の顔を見られるともっといいね」とか足を止めて見てくれた人の中には評価した人もいたが、「こんなんで碁を打ったって面白くないだろう、碁は相手が側にいて色々話せるから楽しいんじゃないか」という様な声もあり、どちらかというと、反対の声が多かった。


                                つづく