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  「無名の挑戦者たち」  GO−NET誕生物語   郷たける


      12 反響その後


 その頃一枚のハガキが届いた。名古屋市郊外の住所だった。
 ―自分はGO-GO-NETWORKの広告を見て大変興味がある、棋力は全国大会に出て何度か入賞したことがある、自分が教えている人の中に興味を持っている者がいるので、是非実物を見たい―という内容だった。
 名前は薄木為生といった。名古屋は遠いと思ったが、久は僅かのチャンスでも逃してはいけないと思った。
 「中山君、名古屋へ行こうMSXとモニターを車に積んでデモに行こう。」
 すぐに薄木に電話を入れて訪問の日が決まると、毎日新聞社の松戸の出張所に連絡した。
 「名古屋と松戸を結んでパソコン通信で碁を打ちます、これは日本で初めてのことです、おそらく世界でも」
 そう言うと、「分かった」と二つ返事で取材に来ると約束してくれた。
 早速段取りを整えると、ハガキを読んだ翌日のお昼近くに出発した。松戸から東名高速を通って5時間ほどの連続運転で夕方近く名古屋近郊のドライブインに着いた。
 ここから30分位もあれば薄木の家に着くはずだ。時間は十分にある、ゆっくりとデモのイメージを組み立てることができる。田圃の真ん中に煌々と灯りをつけてぽつんと建っているモーテルでその日は泊まることにした。
 約束は翌朝の10時だ。

 翌朝、約束の時間より30分ほど早く着いた。
 家の前に車一台がやっと入れるほどのスペースがある。恐る恐るそこへ止めた。
 「お早うございます」久はためらうような声で引き戸を開けた。薄暗くて中が良く見えない。電気もついていなくて、誰も居ないような気配だった。
 そんなはずはないと思っているところへ、ぬーっと奥から色白の細面の男が現れた。
 「先日お電話しました葦原です。本日はお時間を取って頂きまして有り難うございました」そう言って名刺を差し出し、薄木を見た。
 「薄木です」そう言ったきり、言葉が続かなかった。何の為に来たのかと言わんばかりにそっけない表情で立ったままだった。
 確かに電話で約束したはずなのにと思いながら、久は薄木の表情を見ている内に嫌な予感がしてきた。
 今までの営業経験からくる本能の様なものだった。
 顔付きで人を判断するのは良くないと言っても、初対面の第一印象はやはり顔の表情で決まる。その人の表情から醸し出す一瞬の印象は、やはりその人の人格を象徴している場合がある。
 その一瞬の印象でその後の営業展開の成否は決まることもあるのだ。
 久の場合、特にそれは強かった。しかしその時はそんなことにこだわっている場ではなかった。その印象をうち消す様に気を取り直して早速対局の準備にとりかかった。

 持参したMSXのモデムと電話がすんなりと接続できるか否かがまず問題だ。
 モジュラージャックが差し込める状態であれば、問題はない。しかし当時はまだそれは少なかった。屋外から引き込んだ電話線が電話器に黒い中継ボックスを通してつながっているのがほとんどだ。ネジでしっかり固定してある。
 MSXに差し込んでいるモデムを通して電話器をつなぐ様に簡単な作業が必要になってくる。
 松戸の事務所の方には江川と久の碁仇の池村と近所の中学2年生で五段の力があるという中西が待機していることになっている。
 15分ほどで接続できる状態になった。
 「それではこれからご説明いたします」そう言って、パソコンと電話線のつなぎ方を示して、パソコンにフロッピーを差し込み電源を入れる。相手に電話をする、相手とのタイミングを計り「せーの」と言って、ほとんど同じタイミングで二人がスペースキーを押せば、会話モードからパソコンモードになり、以後対局に入ることができる。
 そのようにして対局が始まった。

 松戸に中学生の中西と名古屋は薄木の3子局だった。
 アマチュアでも全国大会で入賞するほど強い人の碁を見るのは久は初めてであった。碁の内容をじっと見たいところであったが、それどころか気が気ではなかった。
 回線エラーの問題がまだ上手く解決していなかったのだ。
 回線が切れることは起こりえるという前提にして、それでも碁が打てる様にするためには、中断したその局面から打ちつがれるように改良しなければならなかった。
 今はまだそれが出来ていなかったのだ。
 無事終了することを祈った。
 対局が始まって一時間を少し越えた。手数は200手を越えて局面はほぼ白の勝勢になっていた。黒がなかなか打ってこない5分10分待っても打ってこない ー回線エラーだー 久は事の状況を薄木に説明し、そこで対局を中断した。
 そして相手に電話を入れた。
 松戸の方から見れば名古屋の方が打ってこないという話だった。松戸は打ったけど名古屋の方に届かなかったのだ。

 しかし一応対局はできた。薄木は自分がまずまず気持ちよく打てたことに満足している様子だった。
 中断した後の打ち継ぎは、後10日もあれば完成すること、又今後改良したソフトは無料で取り代えること等を話した。
 薄木は自分が教えている生徒さんの中に経済的にゆとりのある人が沢山いるので、勧めてみると言ってくれた。

 翌日、この模様が毎日新聞に掲載された。ほんの20行足らずの小さな記事だったが、初めて通信対局のソフトが認められた様な気がして久は嬉しかった。
 その日近くの顔見知りの文具店に行った折り、「記事が載っていましたね」と言われて、やっぱり新聞の力はすごいなと改めて思い知らされた。
 その記事を見て、東京の大田区のお年寄りから連絡があった。興味があるから見せて欲しい、と言うことで久は今度は江川と二人でMSX一式をバッグにいれて車で出かけていった。
 80に手が届くかと思われたその人は和田と言った。遠来の恋こがれていた人を待っていたかの様に「良く来てくれた」と言ってニコニコして手招きしながら二人を迎え入れた。
 江川が準備している間に久は自己紹介だけすませると急いで事務所に帰った。
 「相手はいますか?」というのがお客の一番の不安な点だった。
 「必ず相手はいます」という営業トークは少し誇張でも今は使わざるを得なかった。
 江川は棋譜登録や定石、詰碁のソフトの説明をゆっくりと丁寧に時間をかけて行った。又世間話等で、1時間ほどで久が事務所に着くまで時間をひきのばした。
 事務所に着いた久は和田へ電話を入れて「それじゃこれから対局をしましょう」そういって対局は成功、おまけに和田の勝ちとなって、そのまま機械も置いて、販売第二号となった。
 江川はそんな営業が天才的にうまかった。
 データ打ち込みに頼んだ時の静かなイメージとはまるで反対の才能の持ち主であったことは今後の進展に大きな力となった。

 年明けて62年の1月の末頃、ソニーから銀座のソニービルで展示してはどうかという提案があった。その時も出展料はいらないとのことだった。
 2月2日から10日まで、午前11時から午後7時迄、江川と久は交代で展示説明を行った。
 さらに、ほぼ同じ頃、日本棋院の長西から「週刊碁の新聞に掲載してあげよう」という連絡があった。
 当時、週刊碁の裏面一面にその時々のユニークな碁キチの人物紹介の記事が掲載されていた。そこに久を紹介するという話だった。
 GO-GO-NETWORKを紹介し、なぜこんなことを思いついたかを記載するという目的で、プロ棋士の福井正明七段(当時)と観戦記者、相田と長西の三人で松戸市常磐平の事務所を訪ねて来た。
 3DKの一階の事務所は、入り口が地面より50〜60pほど下がっており日当たりが悪く、天気の良い日でも電気を点けないと薄暗かった。
 日本棋院の三人は、思っていた以上におそまつな事務所に驚いたのか、黙ったまま部屋中をキョロキョロ見回していた。
 奥の方の6帖二間のふすまをはずして通し部屋にして机を5台とその上にパソコンを5台設置していた。
 手前の方には6帖ほどのダイニングに応接セットが置いてあった。

 「今日は取材に来て頂きまして有り難うございます。私の家内とプログラムを作った中山です。データを打ち込んだ江川です」まず社員の紹介から始めた。
 相田は記者の常なのか内面を見抜く様な鋭い目をしている。無表情のまま、どうしてこんな事を始めたのか、始めてからどれくらい経っているのか、又現在収入源は何なのか矢継ぎ早に質問をした。
 久は努めて一つ一つ丁寧に答えた。
 大きな会社にいたのにどうして辞めたのか、この様なことをして不安はないのかという質問はきつかった。端から見れば、危なっかしいことをやっている様に見られていたのだ。
 久はその時は全くそんなことは感じていなかったのだが。
 自分が長年温めてきたことがやっと認められ始めていることで、これからのことが色々とイメージされて夢中だった。
 しばらくして、久の大きな顔写真入りで掲載された。
 知人の間でちょっとした話題になった。


                                つづく