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  「無名の挑戦者たち」  GO−NET誕生物語   郷たける


      16 ソニーの決断


         囲碁界の現状で一、の問いの市場性について明言することは無理がある。
何故なら一般の囲碁ファンにとっては今まで考えたことのない商品だからだ。
今までの実験的デモや販売においても反響が無さすぎるのだ。
 しかし、分かりません、反響は余りありません、では、話にならない、この商品は新しい市場を創造する商品である、そこを強調するしかない。久はそう思った。
 囲碁ファンは驚くほど保守的な人が多い、しかし将来の流れとして囲碁の対局は通信対局の方向へと行く必然性がある、そこのところを強調するしかない。
 次に囲碁の社会的な意義に対する評価は、今は不当に低すぎるように感じていた。
 囲碁は小学校の正課になっても良いとかねがね考えていた。絵や音楽や書道といったものと同じレベルで捉えてもよいはずだ。
 子供の思考力や勝ち負けを競うことで胆力を養うのには適している。
 その辺りの意義をソニーの決定権者に理解してもらう様にうったえること、その人が囲碁を知っているか否かで大いに違ってくるのだが、その様に仮想の質問に対してその時迷い無く明快に答えられる様に解答を作っていった。

 その日が来た、ソニーの本社は品川駅前の大きなビルの裏側に隠れるように、少し五反田よりの所にあった。
 古いながらも初めての訪問者を威圧するかのように堂々とした構えをしている。
 久は大阪でシステムエンジニアをしている役員の一人植木と、CS社の徳田が参考人として、さらに久が依頼した外部のシステムエンジニアとして大山源、四人が出席した。
 一方ソニーの方は窓口としての春木他若手のソフトエンジニア3名と今回初めて対面する30才位かと思われる盛田課長、創業者盛田氏の親戚筋に当たる人が出席した。
 いかにも昔風を思わせる天井の低い長い通路を通って、ガランとした様な感じのする部屋に通された。
久はじめ数人は緊張の為かそわそわ落ち着かない態度で、小声で話し合っていた。
 待つこと数分でソニー側の5人が出席し話し合いが始まった。
 「エー今日はアイ・システムさんとCSの徳田さんにも来て頂きまして、通信囲碁について色々と質問させて頂いてソニーとして採用するかどうかということを検討させて頂きたいと思っています」
 窓口の春木のいつもの柔らかい口調で検討会が始まった。
 「まず、当社の盛田の方から質問があります」
さすがに育ちの良さを思わせる盛田は静かに座っていた。そしておもむろに切り出した。
 「葦原さんはどうして通信対局をやってみようと思われたのですか」
感情を全く面に出さない、集中していないと聞き取れない程の静かな語り口だった。
 久は一瞬「エッ」と思った。
 市場性とか将来の見通しとかその様な経済性の質問が来ると思っていたのだ。
 久にとっては意外な質問に一瞬頭が真っ白になった。
 「エーアッそれはですね、私は囲碁が好きで、それでですね、たまの休みに碁会所に行こうとすると家内が『またあー』と後ろから言うんです、もし通信でできたら自宅で友人とだったらいつでも出来ますので」
 少しあせった様な言い方になってしまった。
 会議室は笑いに包まれた。それ以外久にはスマートな答えは思いつかなかった。
 「今後、どれくらい普及してゆくと思われますか」
 盛田はにこやかに笑いながらの質問だった。
 「パソコン通信は将来益々盛んになってゆくのは間違いないと思われます、今ゲームで育っている子供達が10年後20年後、コンピュータの操作に全く抵抗を感じない世代が囲碁の通信対局にも全く違和感を感じなくなると思われます」
 「市場性はどの位有ると思いますか」春木が言った。
 「囲碁を趣味としている人、その中でも熱心で囲碁に対して積極的にお金を使うレベルの人は100万人位は、いると思います。その内の10人に一人としても10万人、これは囲碁の雑誌又囲碁新聞をとっても、それぞれの利用者は約10万人です、従ってそのくらいの数字は見込めると思われます。しかし何年後となるとそれははっきり断定することはできませんが」
 「CSの徳田さんにも来て頂いていますが、CSさんではこの事案をやるという方針を出されたんですか」春木は言った。
 「はい、当社では、つい先日役員会で決定しました。葦原社長の情熱に当社も動かされまして、アイ・システムさんが窓口として顧客サービスを行い、当社の大型コンピュータをホストコンピュータとして運用して、ソニーさんの方でソフト一式販売されれば、必ず成功すると思います」
 徳田は堂々と落ち着き払った態度で言った。
 これが徳田の武器だった。徳田の律儀そうなその風貌からの落ち着いた発言は、それだけで聞く人を説得せずにはおかない雰囲気をもっていた。
 ここでの徳田の存在は頼もしかった。
 ソニーの若手数人は久と徳田の発言を一言も漏らすまいと真剣な顔つきでメモをとっていた。

 会議室を出て、四人は盛田に丁重にお礼を言った。
 もと来た天井の低い廊下を歩いて行った。春木は出口まで見送る為に先頭を歩いていた。
久はどっと疲れを感じた。
しかし沈黙はまずいと思った。
「盛田さんは若いですねー、若いのに随分しっかりなさっていますね。」久が言った。
 「えーっ、え、まあそうですか」春木は肯定とも否定ともつかない返事をした。
 「我々とはさすが育ちがチャイますね。」大阪の植木が冗談とも本音ともつかない口調で言った。
 出口にさしかかると、「それじゃここで、今日の内容をまとめて、部長に提出します。まあ・・・どうなるか・・・私も頑張りますので・・・また連絡します。」
 春木は我々の期待を一身に背負って、その重さに必死で耐えている風の笑顔を作って、丁寧な態度で言った。
 「よろしくお願いします」四人は深々と頭を下げた。

 春木は資料をまとめた。今日の話し合いの結果、責任者会議を開きそこで承認を得なければならない。

 一、現時点での市場性は不明である。
 二、将来はきっと普通のこととして囲碁界に無くてはならない商品となる将来性はある。
 三、将来この様な商品は他のメーカーが必ず出してくる。
 四、新しい商品で市場を開拓するというソニーの精神に沿っている。
 五、商品に夢があって囲碁ファンから見れば楽しい。
 六、先行投資としては3社がそれぞれの役目分担で行うのでソニーの負担は直接投資としてはハードの開発に比べたら破格に安い金額であること。

 以上のことをまとめて資料を作った。
 「大村さん、会議招集はいつがいいでしょうか」
 春木は社内では先輩格に当たる大村に相談した。
 大村はこの企画には意欲的で久とCS社の徳田を結びつけて話の進展に積極的に活動してきた。
 社内の根回し等をさせたらすこぶる能力を発揮する男だった。
 「賛同する課長は少ないよ、みんな知らんふりさ、積極的に反対もしないだろうけどね」
 「部長はどうでしょうか」
 「部長も理解はしてないんじゃないの」
 「暮れの最終日にしますか、皆急がしいと思うからきっと出席しない方が多いですよ。その方が部長を説得しやすいでしょう」
 何とか承認を得たい春木は暮れの最終日を選んで課長クラスに新企画採用の検討会議を開く通知を出した。
 春木は、出席するのはきっと3〜4人位だろうと予想していた「大村さん、二人で部長を説得しましょう、他の課長達はきっと黙って聞いているだけですよ」
 検討会議は春木の意図した通りに12月の最終日に開かれた。
 しかし会議の当日になって、二人は驚いた。
 何と全課長が出席していたのだった。当時その様な新企画の会議は少なかった、その為に皆が時間を持て余し気味であったことと野次馬的好奇心から関係各部の課長十数人全員が出席したのだった。
 二人は一瞬まずいと思った。しかしこうなった以上もう突き進むしかない。二人は腹をくくった。
 会議の責任者はホームインタラクティブ事業部盛田昌夫部長だった。創業者の次男である。
 十数人の課長は思った通り、積極的に発言する人はいなかった。ほとんど盛田のワンマンショーだった。
 市場性はどうか、将来性はどうか、パートナーとして組むCS社とアイ・システムはどんな会社か、葦原は信頼できる人格か、きめ細かくするどい質問が続いた。
 春木は冬とはいえ汗を拭き拭き今まで予期していた質問に対する答えを一つ一つ丁寧に答えていった。
 しかしどの位の利益が見込めるかという一点においては、作文した数字に自信は無かった。自然と数字を言う時の力が弱くなった。
 それは企業としては一番の重要な点には違いないのだが。
 当時MSXUが売り出され、それ用の新しいソフトが求められていた、囲碁ソフトは爆発的販売は見込め無いが長く続く可能性が高いこと、一度買った顧客はシリーズ物としてレベルアップしたソフトをだせば、何回も買ってくれる可能性が高いこと、さらに通信対局は今は少し早すぎる感はあるが、将来性、斬新性を考えた場合ソニー商品として方向性は違っていないこと等を強調した。
 出席した他の課長クラスはほとんどが黙ってきいているだけで賛成もしない代わりに強い反対の意見を言う者もいなかった。
 得体の知れない商品に、余り関わりたくないというのが本根の様だった。
 会議は1時間近く経とうとしていた、盛田の発言が無ければ、ただ沈黙が続くだけだった。
 それぞれの課長はじーっとうつむいた様にして企画書を眺めたり、めくったりしていた。
 「ダメかも知れない」
 春木は期待して待っている徳田と葦原にどう説明したらいいだろうかとふとそんな考えが脳裏をかすめた。
 盛田は腕組みをして天井を見上げたまま動かなかった。
                                 

                                つづく