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  「無名の挑戦者たち」  GO−NET誕生物語   郷たける


      17 プロジェクト発進


        やがて盛田はゆっくりと正面を見据えた。
 目だけが出席者の一人一人を刺すように動いていた。
 そして目を閉じた。沈黙が続いた、重苦しい雰囲気が流れた。
 どの位時間が経ったのだろうか、おそらく一分から二分、春木には数十分にも感じられた。
 春木は自分の作った企画書の数字を目で追っていた。
 やはり少し誇張してでも、大きな市場が見込めることを書いておけば良かったと思っていた。
 大村は腕組みをしたまま、天井を仰いでいた。
 きっと何か条件がついて許可されるかも知れない、部長は承認する根拠を探しているにちがいないと思っていた。
 突如ドスーンと大きな音がした。
 「よし!」盛田は堅く握った右こぶしでテーブルを思いっきりたたいた。
 「春木君、大村君、頑張ってくれ、私は来年の3月カナダソニーに副社長として行くよう命じられているんだ、私の置き土産だ」
 全くの幸運だった。
 盛田は企画書の内容に理解を示したのではなかった。
 春木と大村の情熱を買ったのだった。
 昭和62年の12月末に、通信対局を含むMSX用の囲碁ソフトの開発企画が正式に承認された瞬間だった。

 その後さらに事態は好転してゆく、それまで誰一人として賛同者のいなかった部課長クラスに田町新吾が新部長として協力することになった。
 田町は盛田の後を受け継いで、ホームインタラクティブ事業部長に任命されたのだ。
 田町はそれまで課長だった。
 卓越した企画力、営業力の割には評価が低かった。
 それが突如部長昇格の辞令を受けたのである。一番吃驚したのは本人だった。
 「春木君、俺で良ければいくらでも使ってくれ」
 田町は自ら精力的にCS社の桜木や久と会って具体的に話を進めてゆくことになる。
 田町自身は囲碁はやらないが、高校時代の友人にアマチュアながら全国大会に出るほどの人がいるということで、囲碁は素晴らしいものという印象を持っていた。
 いよいよ商品化のためのプロジェクトが始まった。
  GO-GO-NETWORKは長すぎるということでソニーの提案でGO-NETに決まった。
 63年1月のことだった。

 開発のメンバーはソニーの春木が全体の進行の管理及び画面のグラフィックを担当する。
 CS社の徳田はホストコンピュータ(通信をコントロールする)側の設計と進行の管理及びCS社が外部設計会社(SSC社からの人材としてシステムエンジニア1名、プログラマー2名)の管理に当たった。
 アイ・システムとしてはMSXのプログラムを西川が担当し、MSXの通信部門を大山が担当することになった。
 この時、久から見れば幸運があった、MSXの通信部門はMSXサイドでは一番重要な部分である。
 そこを担当する力のあるエンジニアが当初いなかったのだ。
 しかし友人でもある大山がそれまで請け負っていた仕事が1月の中旬に発注元の会社の都合でキャンセルになってしまったのだった。
 フリーで請け負いの仕事をしている大山の仕事が無くなった。
 そこで急遽通信部分を大山が担当することになった。大山はベテランエンジニアである。
必要な人材は出そろった。
 三社からの人材の話し合いを密にする為、CS社は開発室を提供してくれた。
 神田小川町の東京支店の入っているビルの靖国通りを挟んで向かい側にある川新ビルの5階の1室だった。
 20坪ほどの広さに机を6台おいてパソコン3台、MSX2台、SCCからの人材二人分の2台を入れて6人で開発を始めた。
 1階に老舗の鰻屋が入っている。毎日昼の空腹時になると、いい匂いがして来た。
 しかし鰻を食うほどの余裕は無かった。
 開発が成功したら思いっきり食おうと思った。
 久と西川、江川と大山4人はこれより約半年間、松戸常磐平の事務所から毎日神田小川町の川新ビルに通うことになった。
 
 そのころ久は大きな問題に直面していた。
 ここ数ヶ月、新聞販売店への営業活動が疎かになっていた為、売上が無くなっていた。
 このままでは2月末で資金が枯渇することになる。
 今すぐ新聞販売店への営業を再開して契約が取れたとしても入金するまでには2ヶ月以上はかかる。
 銀行に融資の話をしても相手にされるはずが無い。
 こうなるかも知れない状況を明子は恐れて GO-NETの企画には反対したのだった。
 僅かばかりの貯金を出してくれとは言えなかった。
 二人は自然と口も聞かなくなっていった。
 それでも今できることは従来の新聞店へのシステム一式を販売するしかないのだ。
 久は過去の新聞販売店リストから可能性のありそうな店5軒を選んで、所長に会えるまで毎日、集中的に訪問した。
 約10日後、一つの話がまとまった。
 期せずして常磐平の事務所に一番近い朝日の楠本新聞販売店であった。
 楠本所長は鷹揚な性格で久の無理とも言える強引な営業を寛大に受け入れてくれた。
 稼働するまではすべて久の方で作業するという約束で第一回目のリース料の支払いも機械導入する前にやってくれた。
 お陰で3月上旬にはリース会社から入金されることになった。
 これで社員の給与の2ヶ月分は確保できた。
 やはり資金が続かなければ夢は追えないとその時改めて実感させられた。
 
 その様な動きをしていた1月下旬、ソニーの春木から話があった。
 この度の GO-NETの正式開発にあたり契約書を交わしたいということだった。
 ソニーとしては通信対局のプログラム作成に750万円、詰碁、定石、名局鑑賞のソフトに750万円、併せて1,500万円で著作権代及び作業代として支払う。
 さらにこれらのソフトの売れ行きに応じて3000セット超えた後は1セットに付き1,500円ずつ支払うという提案であった。
 久は驚いた、今までソニーとの話合いの中ではその様な提案は久の方からは勿論ソニーの方からも全く無かった。
 久は本来、ソニーが採用してくれだけで満足であった。
 著作権代をもらえる等とは夢にも思っていなかった。
 春木は「この金額でいいでしょうか」と言った。
 久は一瞬めまいがしたような錯覚を覚えた。
 「はい、分かりました、有り難うございます」
 春木の顔を見つめたまま身体が硬直したまま動かなかった。
 さらに春木は言った。
 「アイ・システムさんも何かにつけて大変でしょうから、一時金として2月末に500万振り込みます」
 久は声が震えそうなのを押し殺してお礼を言うのが精一杯だった。
 
 この様なことがあって当面の資金の心配がなくなり、久は西川の作った詰め碁、定石、名局のソフトの不具合の発見の為の作業に専念することが出来た。
 3月上旬になるとCS社サイドで作成しているホスト側の対局ソフトのプログラムがほぼ出来上がった。
 この頃から徳田が盛んに川新ビルの開発室に出入りする様になってきた。
 対局ソフトの出来具合のチェックと称して久と二人でテストの対局を盛んにするようになっていた。
 MSX側のプログラムは西川の方で既に出来上がっていて、石の取り上げも地の計算機能も問題無かった。
 今まではMSXどうしを直接一対一で結び付けて対局する方式であったが、これからは中心にホストコンピュータをおいて数百人がCS社のホストコンピュータとまずつながり、そのホストコンピュータが任意の人どうしを結び付けるという方式に変わる訳だ。
 そのホストコンピュータの機能のチェックが必要だった。
 二人は真剣にチェックをしているつもりの対局がいつも勝負の方に夢中になってしまった。
 時には夜の11時過ぎまでかかり終電に遅れそうになることも度々だった。
この様なテストの時はCS社のコンピュータと川新ビル内のMSXは専用回線で結んで行っている為回線エラーは起こらない。
しかし顧客が実際行う場合は一般の家庭用電話にDDX―TP機能をつけて行う、この回線エラーを無くすことが大変な作業となったのだ。
DDX―TP機能とは一般電話の会話の伝送と異ってコンピュータのデーター伝送を行うもので料金がかなり割安に出来ており、距離にほとんど関係なくなる。
しかし当時の通信の精度はそれほど高くなく距離によっては減衰するのだった。
その為に一つのデーターを2回送りその二つが同じであればそのデーターを正しいものとして処理するという方法がとられた。
 当然コンピュータの反応速度も落ちたが碁の対局は数秒から数十秒は考慮しながら打つためゆるやかな反応でもさほど問題はないのだ。
データーが正確に伝わることの方が要求された。

他に久が特にこだわったことは画質の美しさだった。
実際の対局に限りなく近い実在感を出すためには碁盤と碁石の美しさにはこだわった。
さらに打つときの石音も問題だった。
いくつものテスト版を作って実験してみたが、仲々これでいいというものが出来なかった。
実際の榧の碁盤は肌色に近い、それに対しての白石は色の対比がハッキリしないため白石の輪郭が見づらくなる。
黒石の対比はハッキリと見えるが黒一色だと碁盤に穴が空いたように見える、グラフィックの専門家も苦心していた。
2週間ほどして、碁盤と碁石のグラフィックが出来上がってきた。
「これはMSXの限界です」ソニーのグラフィックデザイナーは言った。
久はその画面を見てがっかりした。
碁石が丸くなく、毛羽立つように見えた。白石も輪郭が見づらかった。
「ソニーの技術はこの程度ですか」
どうしても納得できない久は焦る心もあって、言ってはいけないことを言ってしまったと思った。
グラフィックデザイナーは黙って画面を凝視したままだった。
それから約1週間が経った。
「見てください」そう言って表示された画面の中には榧の碁盤の中にハマグリの白石と那智の黒石がクッキリと表示されていた。
石音も「ビシッー」と響いた。
「白石と黒石の光と陰に7色使っています」
グラフィックデザイナーの声は自信に満ちていた。
渾身の作りだった。
「素晴らしいです、言うこと有りません、有り難うございました」
こだわりは功を奏した。
                              

                                つづく