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  「無名の挑戦者たち」  GO-NET誕生物語   郷たける


      18 完成そして長い1日


      4月に入って開発は一段と熱気を帯びてきた。
 回線エラーの回数は当初より少なくはなってきたがまだかなりの頻度で発生した。
 回線エラーとは送られたデーターが途中でこわれて受け取ったコンピュータが読みとれなくなる現象をいう。
 しかし物理的に完全になくなるという事は出来ない。
 MSXのハードの機能及びソフトの性能さらに回線上の精度この3つが重なって回線エラーはある程度は起こりうる。
 その時、囲碁は中断になるがその中断した手数から再び継続して対局できるようにする機能が又複雑だった。
 中断は対局中にどちらか一方が回線エラーとなり、その画面に表示される。
 それをホストコンピュータが検知し相手方の回線を切る、両方の対局者は再立ち上げをしてホストコンピュータにつなぐ。
 ホストコンピュータは中断した時までの局面を記憶しさらに両方に送る。
 どちらの手番かを両方に送り、再継続の対局が始まる。
 この状況の作業が円滑に行われる様にすること、相手が長いと感じないように数秒から十数秒以内で行うことが肝心である。
 しかも1局の間に何回おこってもそれが出来るようにする必要があった。
 しかし当初一方にエラーが起きてもホストコンピュータが上手くそれを感知できなかったのだ。
 最後の難関にぶつかっていた。

 ソニーの発表会の日程は3月の上旬に知らせがあった。
 4月22日から24日まで3日間銀座のソニービルと池袋のサンシャインシティービルとを結んで行われる。
 初日は女流プロの原幸子(当時初段)と西田栄実(当時初段)解説にはNHK囲碁口座講師の泉谷政憲プロ。
 聞き手として島田広美(同じく当時NHK囲碁講座アシスタント)さらにサンシャインシティーの方に小島高穂九段という豪華な出場者が予定されていた。
 2日目、3日目は女流アマチャンピオンになったばかりの中村智佳子。
 他女子学生チャンピオンになったこともある村井真理子、併せて15名の女子学生に出場を依頼していた。

 発表会まで10日と迫った。まだ満足できる結果は得られていない、久は焦る心を抑えながら徳田に言った。
 「もしどうしても前日までに安定した状況が得られないならホストを介しない電話対電話の対局に切り替えたらどうでしょうか」
 徳田は黙ってうつむいたまま答えなかった。電話どうしの対局は何十局も実験済みで全く問題無かったのだ。
 ホストを運営するCS社として又エンジニアとしてそういうことになったら、徳田にとっては大きな屈辱だ。
 ホスト側のソフトを担当しているSCC社の責任者鳥飼とMSX側の大山と徳田三人は連日協議を重ねた。  当日まで1週間を切ったとき、「徹夜してでも必ずやり遂げます。安心してください」大山が言った。
 それ以後、大山始め技術者の事務所への泊まり込みが始まった。

 展示会の当日が来た。
 技術陣は朝の5時頃までテストの繰り返しを行い1~2時間の仮眠の後7時過ぎから準備を始めていた。
 「どうでしょか」8時過ぎに川新ビルに出向いた久は大山に言った。
 「大丈夫です、もし万一エラーが起こってもすぐに対処できます」
 ここ数日睡眠不足でボサボサの頭にトロンとした目をした大山の言葉には力がこもっていた。
 「ありがとうございました、本当にご苦労様でした」
 久は深々と頭を下げた。

 久は銀座ソニービルに行った。10時少し前に到着した。
 まだ関係者は誰も来ていない、閑散としていた。
 外堀通りからショールームの中に入って2,3歩の左側に白いパソコン台にMSXが一台ひっそりと置いてある。
 その後ろに家庭ではお目にかかれないような、大型のテレビ画面がMSXより30㎝ほど高くした白い台の上に周りを睥睨するかのように置いてあった。
 さらに少し奥の左側面には晴海通りに背を向ける様にして縦4列横4列の16台の大型テレビが壁に埋め込む様にして設置してある。
 この全ての画面が GO-NET一色になるのだ。
 展示会は12時から始まる。
 まだ2時間たっぷりある。久は池袋サンシャインシティの会場、ユニバーサルホールの方を担当している徳田に電話を入れた。
 通信のテストをする為である。
 久はそこで30分ほど徳田とテスト対局を試みた。何も異常はなかった。少しホッとした。
 ショールームは一般のお客がチラホラ入り始めた。
 これから何が始まるのかと言った顔で見ている。
 江川が到着した。真っ赤なワンピースにカールした黒髪が肩にゆったりとかかっている。
 渾身のおしゃれをして来た。
 今日の聞き手の島田の後を受け継いで、後半の聞き手を勤めることになっている。
 やがてソニーの春木、大村が来た。
 春木は「お早うございます」とにこやかな笑顔で挨拶した。
 大村はいつもの様に「いやーどうもどうも」と軽快に右手を上げて入って来た。
 二人のいつもと変わらぬ態度に久は安心感を覚えた。
 笠原、田島が来た。営業課長の笠原は最初の挨拶とこの度開発した商品の囲碁ソフト(商品名囲碁クラブ)を紹介する役目だった。
 若手の田島は今日の展示会のためにこまごまと意欲的に準備を手伝った。
 CS社の桜木が若手プログラマーの石岡と来た。
 石岡は徳田の直属の部下で徳田に厳しく叱咤されながらも今日まで目立たない所で力を出してきた。
 日本棋院のプロ棋士九段の酒井猛と本日の対局の解説をする泉谷政憲が来た。
 日本棋院へは三社連名で願書を出してある。
 囲碁ソフトと GO―NETシステムに対して推薦と技術協力というお墨付きの要請であった。
 しかし日本棋院からは何ら技術的な協力や助言等受けていた訳ではなかった。
 この時点ではお墨付きは内定していた。後は金額の問題だけとなっていた。
 NTT画像電信事業部の岩本課長が来た。
 NTTからはGO –NETがNTTのDDX-TP(第2種パケット交換サービス)を使うことから技術面においてきめ細かな技術情報を得ていた。
 又NTTも一般には耳慣れないDDX―TPの言葉とこの機能を広く知ってもらうためには GO-NETは格好のモデルと思っていた。
 以後、全国のNTTの多くの支店でGO―NETを使ってDDX―TPの宣伝を行うことになるのだった。
 始まる30分位前になると今日の司会を務めるソニーのコンパニオンが入ってきた。
 紺のスカートとローマ字でソニーの4文字がちりばめられている白いブラウスに青いスカーフが胸元でしっかりと結ばれている。ソニーのショールームの制服だ。
 今日の解説の聞き手を勤める島田広美が入ってきた。
 ピンクに白い花模様をほどこしたワンピースに幅の広い白いベルトをつけている。
 最後に本日の主役、対局をお願いしているプロ棋士の原幸子初段が白いジャケット、白いスカート、白いハイヒールで現れた。
 期せずして小さな拍手が起きた。若い女性の登場で会場が一挙に華やいだ雰囲気に包まれた。
 久は努めて平静を装いながらも握りしめている手が汗ばんでゆくのを感じていた。
 始まりの時間が近づいてきた。
 50坪ほどの会場に入りきれないほどの囲碁ファンが集まってきた。
 その中に初めてのテストの相手をしてくれた大矢がひっそりといた。
 大矢は経理面のみならず親身になって色々と久の相談に乗っていた。
 12時になった。
 MSXのモニターの後ろに目立たぬ様に控えていた司会者が前に出てきて、多重画面の壁面の横に立った。
 「本日はようこそ銀座ソニービルにお集まり頂きました。これからソニー株式会社とセントラルシステムズ株式会社、株式会社アイ・システム三社で共同開発致しました日本で初めての通信囲碁対局、 GO-NETの実演会を開催させて頂きます。開催に先がけまして、当社の笠原の方から皆様にご挨拶と関係者の方々をご紹介させて頂きます。」
 一般の観客と合い向かう様に中心から外にCS社桜木常務、日本棋院酒井九段、NTT岩崎課長、葦原、日本棋院泉谷政憲、その横に聞き手の島田広美、その外に江川が半円を描くように並んだ。
 最後に対局者の原幸子が紹介されると大きい拍手に包まれた。
 久はドキドキしながら明子を探したがすぐには見あたらなかった。
 二人の娘と三人で観客の後ろの方から見ているのに違いないと思った。
 笠原は日本で初めてであること、日本で初めてであるからおそらく世界でも初めてであること。このたびのプロジェクトは三社の同じ夢にかける情熱が期せずしていいタイミングで出合って苦労の末に実を結んだことを強調した。
 「それでは池袋のサンシャインシティビルにございますユニバーサルホールとつながった様です。これから対局を始めて頂きたいと思います。原先生よろしくお願い致します。」
 司会者の側で静かに立っていた原は小さく一礼して、MSXの前に座った。
 「日本で初めて世界で初めてということですね、すごいですね、これからは自宅から日本全国の人と打てるわけですね」
 解説の泉谷はNHKの囲碁番組の時と同じ名調子だった。
 「素晴らしいですね、全国に囲碁の友達が沢山できますね」
 島田は明るい声で応じた。
 観客は静かに画面を見ていた。
 久は碁の局面を観戦する余裕など全く無かった。
 池袋には徳田、大山は川新ビルの管理端末マシンのそばで待機していた。
 久は回線エラーが起きたときの速やかな対応の仕方を、その時の動きをイメージしていた。長い一時間が始まった。
                                    

                                つづく