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  「無名の挑戦者たち」  GO−NET誕生物語   郷たける


      6 一人での営業


 それから数日後、久は大阪にいた。大阪にいる友人永峯に会っていた。リコーにいる当時、名古屋のリコーの販売店で同じようにコンピュータ販売をしていた男だ。
 たまたま永峯の郷里が福岡の久留米ということで、久の佐賀とは目と鼻の先の関係にあった。
 同郷の気安さでよく付き合っていた仲だった。
 永峯は一年ほど前に仲間3人とソフト開発会社を立ち上げていた。主に新聞販売店向けに顧客管理の為の数種類の帳表と領収書を発行するパッケージソフトを独自に開発し、パソコンとセットでリース販売をしていた。
 一軒の新聞販売店はおおよそ1000軒から大きい店は3000軒ほどの読者を持っていて、毎月一回集金の時に領収書を持参する。そして、その読者がいつまで購読の予約をしているかをきっちりと管理し、他社に取られないように、いつも気をつけていなければならなかった。
 その為に購読予約台帳を2年先くらいまで見ておく必要があった。
 久は新聞販売店への営業は勿論今まで経験がなかった。さらに自分がこれから営業をしようとしている松戸を中心に市川、船橋、柏といった都市の業界の現状がどうなっているのか調べたこともなかった。
 しかし目先、食べてゆく為には今できることはそれしかないと思った。
 永峯からそのソフトの販売権を買って資金を貯めながら自分のやりたい囲碁のソフトを作り上げてゆく。その為のスタートを切った。

 「貯金は幾らあるかな?」久はおそるおそる妻に尋ねた。
 明子は悲壮ともあきらめともつかない沈んだ目をしていた。
 「30万ほどです」
 「30万、2ヶ月か」
 しかし久には悲壮感は全くと言っていいほど無かった。これからは自分のやりたいことがやれると思うと気持ちははれやかだった。
 永峯との話は1セット売れたら100万円の報酬、売れなかったらゼロという約束だった。
 販売権は200万円で買い取る。当然一度には払え無いから1セット売れるたびに100万の報酬の中から20〜30万ずつ200万になるまで払ってゆく。
 払い終わったら後は自由にコピーしても構わないという約束で始めた。しかしその様なことが明子に理解できるはずもなかった。
 「あなたは私と子供達のことは考えているんですか」明子は久を責めた。
 明子から見ればバクチのような生き方にしか見えなかったのだ。
 久はリコーに入社以来、これが俺の仕事だと心から思えたことは一度も無かった。色々な仕事を転々とした時も、仕事への充実感を感じる事は無かった。
 そういう自分自身に「どうして俺はこんなに仕事が嫌いなんだ、このまま行けば俺は落伍者になるんじゃないか、子供はどうする、家族を守れるのか」自問自答することは一度や二度ではなかった。

 新聞販売店への訪問を松戸から始めた。自宅を中心に近い所から、日中、20軒くらい回った。
 事務所は常磐平にあるから、何か有ったらいつでもすぐに行けること。迅速なアフターサービスを売り文句にセールスを始めた。
 新聞販売店の所長は、だいたい夜中の1時、2時に起きて新聞を配る準備をして、朝の5時頃配達し終わった後、一休みして午前11時頃起きるのが習慣になっている。
 従って、余り早く行くと会えないどころか、かえって「うるさい」とどなられて、逆効果になる。
 昼の2時頃になると今度は夕刊の準備で忙しい。従って所長に会えるチャンスは11時から2時までの3時間しかない。
 その為ゆっくり昼食をとっている時間などないのだ。久はあんパンをかじりながら走った。
 初めのうちは自転車をこぎながら、少し経ってバイクに乗りながら。
 それでも所長に会って話を聞いてもらえるのは1日平均2軒あればいい方で、時には何日も、会っても話を聞いてもらえない日が続く。しかしそれであきらめていては一台も売れない。そんな時はそっとその店の様子を窺い、いつも忙しく出入りしている店員さんに状況を聞くのが肝心なのだ。
 コンピュータは既に使っているのか、使っているとしたら満足しているのか、いつ頃入れたのか、又他のセールスは来ているのか、その様なことを根掘り葉堀り何回も訪問して聞き出すのだった。

 特に大事なのは奥さんだ。
 所長には会えなくても、又居ても会ってくれない場合が多いのだが、奥さんは店員達の食事の世話から内々の管理等全て奥さんの仕事になっているので、店に居ることが多い。
 その奥さんに好印象を持ってもらうことが、所長と話をする以上に大事なのだ。その為には全神経を集中して対応しなければならない。
 奥さんに対しては毛ほどの対応ミスは許されないのだ。一度失敗したら決して取り返しがつかない。その辺りの営業の機微は、もうその時は、久は長い失敗の連続のはてに感じ取っていた。
 そして動き始めてから一ヶ月位経った時、販売第一号のお客さんができた。市川市原木中山の佐藤さんという読売の新聞店だった。

 初めて尋ねた時、丁度新聞運搬のトラックが夕刊の束を降ろしているときだった。トラックの荷台から次々にその束を地面に放りなげていた。久は黙ってその新聞の束をお店の内に運んだ。
 丁度その時、奥さんと思える人が出てきた。軽く会釈だけして、久は黙々と運搬作業を行い、終わった後自己紹介だけしてすぐに去って行った。二度目の訪問の時「考えているみたいよ」奥さんが言ってくれた。
 船橋の村中新聞店を初めて訪ねた時も所長の奥さんと思われる人がうず高く積んだ古紙の束を移動している最中だった。
 久はバイクから降りるとすぐにその古紙の移動の仕事に取りかかった。一束持つと見た目以上にズシリと重く、5キロ以上はあると思えた。
 奥さんは「この男何をするのか」といった目でじろっと見たきり、その作業をもくもくと続けた。
 50束ほどの移動は二人でやればすぐに終ったが、久はさすがに少し汗ばんだ。
 「お忙しそうですので、又来ます」所長が不在の気配を察して久は立ち去ろうとした。
 「お昼は済んだのかい」それまで厳しい顔をしていた奥さんがぶっきらぼうに言った。
 「いえ、これからです」
 「じやー食べてゆくかい、キューリの漬け物しかないけど」
 「ええー? はい、頂きます」
 サクサクした緑色鮮やかなキューリの漬け物とサンマのぶつ切りの煮付けを出してくれた。
 「おいしいですね、このキューリ、奥さんが漬けられたんですか」「そうだよ」無愛想な返事だった。
 「このサンマはおいしいですね、こんな食べ方は初めてです」
 大盛りのお変わりをした。
 「ごちそうさまでした」丁寧にお礼を言って立ち上がった。
 「お腹空いたら又おいで」表情一つ変えず、しかし心のこもった言葉だった。
 それから、週の内2度、3度と村中さんの店へ行った。
 その都度仕事を手伝ってお昼をご馳走になった。その様なことが続いて約2ヶ月後、その店に機械を入れていた。

 それ以後順調に売上を伸ばしていった。
 明子は読者データーの打ち込みを手伝った。以前とは見違えるほど機嫌良くなっていた。
 2年の間に20軒ほどの売り込みに成功したのだった。
 最初、自転車でまわった。お腹の脂肪がでっぷりとついた体ではさすがに1ヶ月でねを上げた。
 一台目が売れてからバイクを買った。バイクを使えば松戸から千葉市の近くまで行けた。
 1日に150キロ位走った。
 二台目が売れた時、中古の車をローンで買った。
 いつも顔を出している販売店へ車で行った時、それまで自転車、バイクとみてきた所長さんは「ようー、頑張ってるなー」そう言ってくれた。
 「俺の所は小さいから、要らないけど、俺の友達だが、山口の所へ行ってみろ、考えていると言っていたぞ」そう言って励ましてくれた。
 3ヶ月目位から、仕事が面白くなって来た。
 毎日知らない店に訪問する時も、ここの所長さんはどんな人だろうかとわくわくした。
 領収書を発行するときは手伝いにも行った。一人ではやりきれないお客が多くあった。集金が始まる毎月25日までにどうしても領収書を発行してしまわなければならない。
 その為、夜の一時二時まで手伝うことはたびたびあった。会社勤めの時の3倍以上の仕事をしている様な充実感を感じた。
 「仕事は本当は面白い。」久は自分は仕事嫌いじゃないことを感じていた。
 自分の力が人の役に立っていることを肌で感じて嬉しかった。


                                つづく