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  「無名の挑戦者たち」  GO−NET誕生物語   郷たける


      8 プログラミング開始


 しかし、久には一つの迷いもあった。
 何もない所から一人でこんな企画が実現できるものだろうか。
 自分一人の力には限界がある。たとえできたとしても時間がかかりすぎるし、品質も良い物はできないだろう。協力者を求めて、チームで作れば目的は早く達成できるはずだ。
 「ダメで元々だ、当たってみるしかない」久は当時新聞販売店用としてパソコンを仕入れていたカシオ計算機(株)の東京システム営業所の山田部長に提案書を出した。60年の12月の中旬だった。
 当時すでに電卓や時計でパーソナル用としてのダントツの市場占有率を誇るカシオに対して、通信対局の為の個人用の機器を作ることを提案したのだ。

 技術上の問題点として
 1、通信費節減のため、対局のデーターを送受信している時だけ自動的に回線がつながる様にできないか、思考時間の料金を無くす為。
 2、年配者でも気楽に使用できるよう不要なキーを極力無くして、数種類の必要なキーだけの専用キーボードを作る。

 この様な専用機を開発できないかという内容のものだった。
 約一ヶ月経った翌61年の1月20日付けで回答が来た。
 専用機械開発となると専用キーボードの金型代金、LSI開発費、設計費等で約1億数千万円位がかかり、その為には数十万台を売らなければ採算が取れない。
 対局のための通信費が市内でも300円遠距離になると数百円から3千円も超えるようになる為、一般に普及しがたい。
 その様なことでリスクが大き過ぎるので面白い企画ではあるが採用できない。
 という返事だった。

 やっぱり自分でやるしかないのだ。
 そこでプログラマーを探した。片岡の会社に居たときの女性プログラマー川本に声をかけてみた。
 その時は川本も片岡の会社を退社していて他社でアルバイトをしていたのだが、早速会って仕様書を見せてまず棋譜登録の為に、碁盤に碁石が順番通りに打てて再現できるところまで試しに作るようにと依頼してみたが、これはみごとに失敗に終わった。
 優秀と思っていた川本は業務用ではそこそこの力を発揮したが、この様なグラフィック的プログラミングは初めてということで途中で断念した。約3ヶ月がムダに過ぎた。
 やはりアルバイトでは限界があると思った。

 次は新聞の折り込み広告で社員を募集した。
 応募してきたのは25才〜6才の女性だった。大手コンピュータメーカの仕事をしたことがあるということだった。
 しかしこの女性も3ヶ月ともたなかった。
 その女性は困難な状態になると冷静さを欠き、「私は一生懸命やっているんです」というだけで一向に進展しなかった。
 酷なようだけど退社してもらった。これで6ヶ月がムダになった。
 費用も100万近く無駄になった。

 再び新聞の折り込み広告で募集した。今度は少年の幼顔の残る18才位の青年だった。
 小柄で色白の細面のいかにもパソコンオタクの青年だった。
 久は今までの2度の失敗をかてに今度は採用の時、プログラミングのテストをした。
 「碁盤に白と黒の碁石を表して下さい」青年は「はい」と言って、すぐに取りかかった。ものすごいスピードのキータッチだった。
 あっという間に画面いっぱいにプグラミングのアルファベットが表示されていった。
 時には間違いに気がついたのか画面いっぱいの文字が一瞬に消されることもあった。
 青年は無言で2時間ほど格闘していた。まさにコンピュータと格闘しているといえるほどの頑張りだった。
 「できました」碁盤と碁石が色鮮やかに映し出されていた。「良くやったね」久は言った。
 「エヘヘヘー・・」と青年は嬉しそうに笑った。
 「今日はもう遅いから明日からおいで」
 そう言うと、青年は嬉しさを押し殺したような表情をして帰っていった。
 青年の名は中山豊といった。
 その後この青年が、GO―NETの原型を一人でプログラムすることになった。

 61年の春だった。既に出来上がっていた仕様書に従って、中山はプログラムしていった。
 通信対局ソフトで難しかったのは最初のつながりと最後の終局の仕方だった。
 まず相手に電話をかける。その時両方の電話はパソコンに設置されているモデムを通してつながっている状態になっている。
 両方のパソコンには対局ソフトがすでに立ち上がっていて対局に入る準備ができている状態になっている。
 二人はこれから始めましょうと意志を確認し合って「セーエーの」の声と共に、スペースキーをほぼ同時に押して、会話モードから通信モードへ切り替える。
 その手順の組み立てとモードの切り替えのタイミングを計ることが難しかった。
 お互いが数秒間ずれてキーを押しても機能するようにする為に苦心した。

 それ以上に難しかったのが終局の仕方だった。
 投了は簡単だった。
 投了キーを押して自分から意思表示をすればいい訳であるから問題は無かった。
 問題は作り碁の時であった。
 地の計算をどうやってするか、それが問題だった。
 複雑な石の配置から石の生き死にをコンピュータに任せることはできない。もしこれができれば対局ソフトが作れるということにつながる。しかも相当強いソフトだ。
 従って石の生き・死に は人が操作して決めるしかない。それをどうするか、しかも簡明にしなければならない。

 久は実際の碁盤の対局の場合はどうしているか、その手順を一つ一つ順追ってイメージした。
 @どちらかが終わったと思った時、終わりましたと声をかける。
 A相手が同意する。
 Bダメをつめる。
 C死んだ石を取り上げる。
 D必要な箇所に手入れをする。
 E相手の地へ埋める。
 F数える。

 この手順をコンピュータ上でするわけだ。
 @自分の手番の人が終局ですねと相手に同意を求める。
 (この時の通信は(半二重という)電車の単線のように一方から交互にしか通信できなかった)
 A相手が同意する。
 Bコンピュータではダメは詰める必要ない。
 C死んだ石は取り上げる。(この生き死にの判断が一番のコンピュータの弱点だ)
 D手入れをする。これも判断が難しい。実際の碁盤でも同じだ。(必要な箇所に、黒又は白石をおく)
 Eこれだけ正確に行えば、後は自動的にコンピュータが計算を行う。(黒又は白石で切れ目無く囲まれた部分の目数を数える)
 F相手も同じような操作をして出した答えを相手に送り、双方が同じであればそれを結論とする。
 Gもし答えが違っていた場合、どちらかが死んだ石を取り忘れているケースの場合なので、もう一度計算をやり直す画面に戻す。
 この様にして碁の勝負が決着する。
 その様に作れるはずだった。

 実際はしかしこれがなかなか上手く行かなかったのだ。
 中山は必死で頑張ったがどうしても越えられない二つの問題があった。
 一つは対局途中のポンヌキと複数の石の取り上げの時、自動的に盤上の石を消せないことだった。
 もう一つは死んだ石を取り上げた後の地の計算が上手くプログラミングできなかったこと。
 従ってポンヌキ又複数の石の取り上げの時は人がキー操作でその石に表示をつけて、取り上げキーを押すという操作をやらなければならなかった。しかしそれは面倒なことであり、スマートな方法ではなかった。
 その二つをのぞけばほぼでき上がった。
 中山が着手してから約半年が経っていた。

 早速実験することにした。それまでは事務所の電話を2台つないで何度も繰り返し行い問題は無かったのだが、長い距離での実験をする必要があった。
 久の会社の税務を処理している税理士であり又友人でもある大矢にも相手を頼んだ。
 MSXを持っていってもらい、大矢の事務所の恵比寿と松戸を結びつけての実験だった。
 30手も打たない内に画面が固まって動かなくなった。
 しかし、ともかくも打てたのだ。
 これが最初の対局となった。回線が途中で切れるということもこの時初めて知った。


                                つづく